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【リレーコラム】教会としてのクローゼット(加川日向子)

PROFILE|プロフィール
加川 日向子(かがわ ひなこ)
加川 日向子(かがわ ひなこ)

1997年東京都生まれ。アーティスト。東京藝術大学大学院美術研究科版画専攻修了。
リトグラフ、油彩を中心に、フェミニズムや関係をテーマとした作品を発表している。趣味は料理、ファッション、ゲーム。
装画を担当した『フェミニスト、ゲームやってる』(近藤銀河著、晶文社)が2024年5月24日発売。

服は好きですか? 私は大好きです。
装うことは楽しく、時に苦しい。それは、社会の中であなたが何を装うかということをジャッジされるからだと思います。誰かが見ているから楽しく、誰かが見ているから苦しい。それでも人が服を愛し、装うのは一体なぜなのか?
どんどん増え続けるニット・コレクションの一部。ほとんどが新品で買ったもので、高校生の頃から10年近く着続けているものもある
どんどん増え続けるニット・コレクションの一部。ほとんどが新品で買ったもので、高校生の頃から10年近く着続けているものもある
私は中高時代を女子校で過ごしました。制服着用の校則がなかったので、それぞれが好きなものを着て過ごしていましたが、女子しかいない空間の中でもジェンダーのようなものがあり、それぞれがそれを装いとして表現していたように思います。それは固定的なものである場合もあったし、日によって微妙に異なる場合もありました。それは単なる服装の自由を超えて、自分がどういうつもりで人と接するか、どういう性として扱われるかを自分で決め、表明することができる(しかも日替わりで)、ということだったと思います。そして、私服の女子校という場所で、自分の性自認について説明が必要な場面は特になかったし、望むままに女性であることも男性であることも、ボーイッシュな女の子とガーリーな男の子の間を行き来することも、そんなに難しくはなかったように思います。
大学入学と同時に「社会」に出て、一番驚いたことは、自分のジェンダーが女性に固定されていて、自分の意思で自由に行き来できないということでした。どんな格好をしていても自分は「女性」であるということ、それは自分がどのようなパーソナリティであるかということとはまったく関係ないこと、そしてそのためにたくさんの差別を受け、優遇もされることを知りました。なんて乱暴なんでしょうか!
私はもともと服が好きだったので、大学に入って自分の着たい服を自由に買えるようになったことは大きな喜びでした。しかし、大学生という立場やそれに求められる服装の規範は、まるで曖昧で多様な性自認を持った個人を、交配のための「男/女」という性別に強制的に振り分けてパッケージングする巨大な装置のようでした。制服によって個性の表現を封殺してきた学校教育プログラムの、最終段階のような。私はある時、大学に何を着ていけばいいのかわからなくなって、2時間くらいクローゼットの前に立ち尽くしたことがありました。私は他者からのまなざしをあまりにも強く感じて、自分を見失ってしまったのです。その時から、服を選び装うということが、自分が何者なのかを探る行為に等しくなりました。
クローゼットの一部。総じて柄のないものの方が少ない
クローゼットの一部。総じて柄のないものの方が少ない
自分のパーソナリティを装いの中で表現しているということは、基本的にはあまり理解されないように思います。社会的に必要最低限で常識的な服装が一番よい、そこからはみ出してまで、ものを考えて装うことに何の意味があるのかわからない、そのような「服を愛さない」人々に、服をなぜ愛するのか、と問われたとき、あなたはどう答えるでしょうか。たとえば服は武器やお守りとして、それを身につける人のことを守ってくれる存在であると答えることはできるでしょう。しかしそれだけではなく、積極的に選び集めてきた服たちがクローゼットいっぱいに詰め込まれ、いつでもそれを取り出せるということが、その人の過ごしてきた時間や、ひいてはその人自身を肯定するものであると、私は考えます。あなたが自分の好きなものをよく知っていて、時間をかけて集めてきたこと。それらがあなたのそばにあって、あなたはいつでも望むようなあなた自身になれること。それは社会においてしっかりと保証されているとは言い難いけれど、それなりに自由に行使することのできる権利としてまだ残されているものです。
私は、自分が何者であるか、未だによくわかりません。そして、社会の中で、女性でも男性でもない何かとして生きていこうとするのはとても難しい。そんな人々にとって、ファッションというものが、服を愛するということが、ひとつの救いとしてあるのだと思います。
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