

沖縄県那覇市壺屋にて300年以上続く壺屋焼の窯元「育陶園」6代目の長女として生まれる。2021年、父から事業承継を受け代表に就任。
伝統技術の継承を大切にしながら、製造・販売・体験をつなぐ体制づくりに取り組んでいる。壺屋という産地の魅力や価値を、日々の営みの中で無理なく伝えていくことを目指し、「壺屋の景色をつなぐ」というビジョンのもと、次世代へ文化を手渡していく活動を続けている。
那覇市の中心部に位置しながら、静ひつな空気が流れる壺屋やちむん通り。ここは戦後、沖縄の復興が始まった場所として知られる。
那覇市中心部にありながら静かな空気が流れる壺屋やちむん通り。ここは戦後、沖縄復興の出発点として知られる。空襲被害が比較的少なかった壺屋には、沖縄戦後、収容所で暮らしていた陶工たちが集められ、先遣隊として最初にこの地に入った。戦争ですべてを失った住民のため、彼らは日用雑器を作り無償で配布し、こうして壺屋を起点に、那覇の街は次第に再建されていった。
かつて壺屋の空には、登り窯から立ち上る煙が日常的に見られた。しかし、1970年代に入ると公害問題への意識の高まりとともに、那覇市内での登り窯の使用は原則禁止となる。多くの窯元が煙の出ないガス窯や電気窯への転換を余儀なくされ、あるいは登り窯での焼成を求めて読谷村など郊外へ移転していった。
育陶園の工房がある壺屋には、現在も国指定重要文化財である登り窯が鎮座している。現在、本格的な焼成には使われていないが、年に一度、窯の保存を目的に火入れが行われる。この行事は、壺屋の陶工たちが共同で作業を行う貴重な機会であり、技術と記憶を次世代へ継承する象徴的な役割を果たしている。
そして薪窯ならではの火の景色や偶然性とは異なる環境のなかで、線彫りや絵付けといった「加飾」の技術を極める方向へと進化を遂げ、現代の壺屋焼、そして育陶園のアイデンティティを形成していった。
