
琉球稲嶺ガラスは、廃瓶のガラスを人間の手で粗々しく、しかも単純に自然にうまれる 色のままで、蘇らせたものです。その肌合は、まるで陶器のような温もりがあり、特に「泡ガラス」の技法は、その感を強くします。常に新しい技法に取り組み、ガラスの造形的な可能性を追求しています。
1971年 那覇市寄宮生まれ。1987年に奥原硝子工房にて7年務めた後、1995年には宙吹ガラス工房「虹」へ入社。1996年以降、沖展や沖縄タイムス社 芸術選賞など、数多く受賞。
2020年、宙吹ガラス工房「虹」代表。2022年 沖縄県工芸士認定、2023年沖縄県版美術資料沖縄の美術に掲載、2024年 東アジア国際展覧会 in TOKYO出品・日本神経科学学会50周年記念イベント アートデザイン展出品。
戦後の沖縄で、駐留米軍が廃棄したコーラやビールの空き瓶を溶かして再生したことから始まった琉球ガラス。資源不足という逆境から生まれたこの工芸は、沖縄の歴史とともに歩んできた。「宙吹ガラス工房 虹」の創設者である稲嶺盛吉さんもまた、その歴史の渦中にいた職人の一人である。
盛吉さんは当初、糸満市にある大規模なガラス工芸施設に在籍していた。当時、沖縄県内には多数のガラス工房が乱立しており、それらを集約しようという動きがあったためだ。しかし、職人としての強い個性を持ち、自身の作りたいものを追求する性格の盛吉さんは、組織の枠組みに収まることができなかった。わずか3ヶ月で施設を離れ、その後、那覇の奥原硝子製造所などを経て独立の道を歩むことになる。
独立当初は苦難の連続だったという。最初の工房での失敗を経て、宜野湾市大山にあった外国人住宅の一角で再起を図った。転機が訪れたのは、作った皿がある喫茶店でランチプレートとして使われていたことだった。その皿を目にした陶芸関係者が、盛吉さんの作るガラスの独自性に注目したのである。
当時、読谷村の「やちむんの里」は陶芸家たちの集落であり、ガラス工房を受け入れる前例はなかった。しかし、盛吉さんの才能を見出した理解者たちにより、例外的にこの地に工房を構えることが許されたという。こうして「宙吹ガラス工房 虹」は、陶芸の里における唯一のガラス工房として、その歩みを進めることになった。
