宙吹ガラス工房 虹が継承する「人真似をしない」創造の精神
2026.04.03
宙吹ガラス工房 虹が継承する「人真似をしない」創造の精神
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沖縄県読谷村にある工芸の聖地「やちむんの里」。その一角、陶芸工房が立ち並ぶなかで唯一のガラス工房として存在感を放つのが「宙吹ガラス工房 虹」である。「現代の名工」として知られる故・稲嶺盛吉さんが創設し、現在はその息子の盛一郎さんが代表を務める。「泡ガラス」の技法で独自の地位を築いた同工房だが、その背景には親子2代にわたる激しい葛藤と和解、そして創造への執念があった。
PROFILE|プロフィール
稲嶺 盛一郎(いなみね せいいちろう)

琉球稲嶺ガラスは、廃瓶のガラスを人間の手で粗々しく、しかも単純に自然にうまれる色のままで、蘇らせたものです。その肌合は、まるで陶器のような温もりがあり、特に「泡ガラス」の技法は、その感を強くします。常に新しい技法に取り組み、ガラスの造形的な可能性を追求しています。

1971年 那覇市寄宮生まれ。1987年に奥原硝子工房にて7年務めた後、1995年には宙吹ガラス工房「虹」へ入社。1996年以降、沖展や沖縄タイムス社 芸術選賞など、数多く受賞。

2020年、宙吹ガラス工房「虹」代表。2022年 沖縄県工芸士認定、2023年沖縄県版美術資料沖縄の美術に掲載、2024年 東アジア国際展覧会 in TOKYO出品・日本神経科学学会50周年記念イベント アートデザイン展出品。

琉球ガラスの異端児「虹」の起源

戦後の沖縄で、駐留米軍が廃棄したコーラやビールの空き瓶を溶かして再生したことから始まった琉球ガラス。資源不足という逆境から生まれたこの工芸は、沖縄の歴史とともに歩んできた。「宙吹ガラス工房 虹」の創設者である稲嶺盛吉さんもまた、その歴史の渦中にいた職人の一人である。

盛吉さんは当初、糸満市にある大規模なガラス工芸施設に在籍していた。当時、沖縄県内には多数のガラス工房が乱立しており、それらを集約しようという動きがあったためだ。しかし、職人としての強い個性を持ち、自身の作りたいものを追求する性格の盛吉さんは、組織の枠組みに収まることができなかった。わずか3ヶ月で施設を離れ、その後、那覇の奥原硝子製造所などを経て独立の道を歩むことになる。

独立当初は苦難の連続だったという。最初の工房での失敗を経て、宜野湾市大山にあった外国人住宅の一角で再起を図った。転機が訪れたのは、作った皿がある喫茶店でランチプレートとして使われていたことだった。その皿を目にした陶芸関係者が、盛吉さんの作るガラスの独自性に注目したのである。

当時、読谷村の「やちむんの里」は陶芸家たちの集落であり、ガラス工房を受け入れる前例はなかった。しかし、盛吉さんの才能を見出した理解者たちにより、例外的にこの地に工房を構えることが許されたという。こうして「宙吹ガラス工房 虹」は、陶芸の里における唯一のガラス工房として、その歩みを進めることになった。

盛吉さんの写真の前には、独創的な作品が数多く展示されている
盛吉さんの写真の前には、独創的な作品が数多く展示されている