2021.07.16

山口壮大「スタイルと言葉、感覚の共有可能性」

#特集002「言葉とイメージ:ファッションをめぐるデータ」
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ファッション研究者、京都精華大学デザイン学部准教授・蘆田裕史氏とお送りする特集企画「言葉とイメージ:ファッションをめぐるデータ」。今回は、ファッションディレクターの山口壮大氏をお迎えし、スタイリングと言葉の関係について、蘆田氏自らインタビューを行いました。

スタイリングとして要素を組み合わせていくときの考え方、またそういった感覚を共有するための論理化の可能性をめぐる対話をお届けします。

PROFILE|プロフィール
山口壮大

1982年愛知県常滑市生まれ。文化服装学院卒(第22期学院長賞受賞)
2006年よりスタイリスト、またミキリハッシンディレクターとして活動開始。2012年渋谷PARCOに次世代型セレクトショップ"ぴゃるこ"をオープン。2015年KANSAI YAMAMOTOのクリエイティブディレクションを担当。2021年高田賢三回顧展のディレクション及びキュレーションを担当。ファッションディレクターとして様々なブランドと共に、展示・イベントの企画を行う。

スタイリストの服の捉え方

思想と表層を切り分ける
蘆田:

僕はプロダクトデザインや建築と同じように、ファッションデザインでも制作をロジカルに行うことが必要だと思っているのですが、そのためには言語化や、衣服/服装の要素への分解が必要です。

今回、「山口さんが服をどのように認識しているのか」を聞いてみたいと考えています。山口さんはスタイリストでもあり、商品企画を行うディレクターでもあります。スタイリングを組むとき、あるいはディレクターとして商品企画をするときに、どんな風に服を見ているのかを聞いていきたいと思います。

山口:

完全に僕の個人的な意見ですが、まず、服そのものに対しては、どういった哲学や思想の下で生み出されたのか、深層に潜むコンセプトの部分を大切に視ています。その上で、素材やカラー、ディテールといった表層的な部分に、哲学や思想がどう落とし込まれているのかを見逃さないようにしています。一方で、スタイリングを組む際は服に潜む思想の部分と、表層の部分を一旦切り離して捉えます。着用いただく被写体の方も、同じようにその方がどういう生き方をされているのか、どういう物語があるのか、という内在的な側面と、その方の外見は切り離して考えていて。それをパズルのように組み合わせていく感覚で視ています。

蘆田:

その組み合わせには、セオリーのようなものはあるのでしょうか?例えば、○○な性格の人には、××を着せる、みたいなことです。その人が自分をどう見せたいのか、その目的によって変わるかもしれませんが。

山口:

難しいですね。最終的な出口はやはり、表現するメディアによって変わっていくじゃないですか。例えばファッションマガジンで流行にフォーカスする媒体であれば、流行が最も外側のフィルターとして目に映るので、そこを際立たせるように導きます。もう少し人間にフォーカスが出来るときは、その人自身が現れる要素を最も外側のフィルターとして映す。そこから、表現したい軸をぶらさないように、深さを出していく感覚かもしれません。

かっこよさ、かわいさをめぐる判断
蘆田:

スタイリングって諸要素の組み合わせとして捉えることができると思います。トップスとボトムスといったアイテムの組み合わせ、色や柄の組み合わせ、シルエットの組み合わせのように。つまり、スタイリストは衣服や服装を——意識的であれ無意識的であれ——要素に分解しているのだと思いますが、山口さんは衣服/服装がどんな要素から構成されていると考えているのでしょうか。

山口:

まず冒頭でお話ししたような、目には見えない、そのモノに内在する情報から捉えています。要素で挙げていくと、そのモノが生まれた背景。ここにはブランドやデザイナーの名前、年代なども含んでいます。次に洋服のルーツ。例えばミリタリーが起源など、どのような文脈から来ているものなのか捉えます。

その次に目に見えている情報である、カテゴリーやデザイン、素材、パターン、ディテールといった、細部の表現を視ていきます。こんな感覚で、ざっと一通り眺めて。その後に、それぞれの要素を自分で組み立てて、勝手に解釈します。例えばルーツがミリタリーであっても、色柄や素材がすごく優しく作られていたら、真実は分からないですけど、そこに何らかの批評性を感じるじゃないですか。そういった感覚を大切にしながら、総体的に捉えていきます。

蘆田:

なるほど。では、それがうまくいったかどうかの判断はどのようにされるのでしょうか?服の種類や素材、ディテールは視覚的に理解することができますが、ブランドやデザイナーの名前のような思想性って目に見えないものですよね。

目に見えないものと目に見えるものが要素としてあって、それらを組み合わせる。その組み合わせがうまくいっているのか、修正が必要なのか、という判断をその都度されていると思うのですが、どのような基準を持っているのでしょうか?

山口:

最終的には、見た目しか評価されないと割り切るようにしています。(服のルーツや思想といった)内在的な部分は、現時点では自己満足と捉えています。僕は5年ほど前から肩書きをスタイリストではなく、ファッションディレクターと名乗っているのですが、スタイリストを自分の中で辞めた理由は、まさにそういうところでした。求められるところは、あくまでファッションを演出と解釈する、表層のところがほとんどだった。僕がこだわりたいのは、演出にたどりつくまでのプロセスだったので、スタイリストじゃなくても良いかもと思いました。

蘆田:

見た目のかっこよさ、可愛いさはどう判断するのですか?

山口:

難しいですね、言語化したくないところではあります。途中までは言葉に出来ても、最後はやっぱり、言葉にならない部分ではあるんですよね。
例えば、今のストリートでムードになっている90年代後半のスタイルは、体をスマートに細長く捉えるシルエットの作り方が特徴的なので、体を線(ライン)で捉え、強調する感覚でスタイリングすると今っぽさが増してくると思うのですが。

これを100%全力で表現することが”イケてる”タイミングもありますし、このニュアンスを理解しつつも、敢えて”外し”で野暮ったさを加えた方が光るタイミングもありますし、スタイリングの良し悪しの捉え方はどんどん変化しています。
僕の場合は、ですが、見た目を重視する場合は、そのときどきのムードをシルエットで捉え、今(トレンド)とのタッチポイントとしてスタイリングの軸に据えます。

一方で、表現すべきコンセプトや、モデルのパーソナリティーから紐解いた自分なりの提案を含んだアイテムを選別し、”軸”を意識しながらスタイリングに落とし込んでいくのですが、そのバランスや、ニュアンスに癖のような個性があって。それが出た時に、いいんじゃないかなと思いますね。

画像: 収録はZoomにて実施されました
収録はZoomにて実施されました
判断の共有可能性
蘆田:

その「いいんじゃないか」という感覚は、撮影の場にいる他の人——アシスタントやフォトグラファー、エディターなど——とも共有されるものなのでしょうか?それとも、山口さんの中でOKであればそれでいいのか。

山口:

これは共有できますよ。そこにいる全員で、言語化せずとも共通認識としてあるのは、人間として、今ここにいてイケてるかどうか、なので。ばちっとハマるタイミングには、グルーブが生まれています。

蘆田:

アシスタントが常に山口さんと同じ感覚を持っていれば理想的なのかもしれませんが、それはなかなか難しい気もします。違う感覚を持っている人と、どんな風に議論することができるのでしょうか?

山口:

そうですね、言語化は相当数コミュニケーションを重ねていかないと辿り着かない。なので、僕はもう、そこは諦めています。今の僕のチームの作り方は、プロジェクト毎に異なるので短期間のコミュニケーションで、そこまで行き着くことはありえない。なので、分かりやすいポイントで説明をして、数を集めてもらいます。例えば、赤いデニムジャケット探してね、とか。そのボリュームを見ながらピックアップしていく、みたいな手段にしていますね。

スタイリストとデザイナーの違い
蘆田:

山口さんはもともとスタイリストから出発し、今はファッションディレクターとして、商品だけではなくさまざまな企画のディレクションをしてると思います。ディレクターとして企画をする場合と、スタイリストとして仕事をする場合とで、衣服や服装の見方には違いがありますか?

山口:

僕は一緒ですね、変わらないかもしれないです。商品や企画のディレクション作業は、複雑に絡み合う様々な要素や要因を整理しながらテーブルの上に並べ、優先順位を付けながら方向性を探っていきます。それは作り方であり、スタイリング的な伝え方でもあるなとも思います。

そして現代のデザイナー論にも繋がるかもしれないですが、デザイナーと会話してても、僕と思考のプロセスが同じだと感じることも多いです。ただやっぱり、言語化できない最後のニュアンスみたいなところが大事で。それが神がかっているのが、デザイナーだなと思います。例えば僕が天才デザイナーだと思っているPOTTOの山本さんは、パターンをその場でぱぱっと書いて、裁断して適当に縫ってるはずなんですけど、何故か普通に可愛いっていう。理論とかじゃないんです。

蘆田:

ファッションは他のジャンルよりも移り変わりが速いので、感覚的な制作では何十年も続けることは難しいように僕は思っています。実際、30〜40年もブランドを続けられる人ってかなり少ないですよね。山口さんは感覚的な制作を続けることが可能だと思いますか?

山口:

どのステージで、どう活動していくかにもよるかもしれないですね。蘆田さんが「コトバトフク」でやられてることも近いと思いますが、ハウス@ミキリハッシンでセレクトしているような、作家ほど個人的な活動でもないし、大きなブランドほどマスを相手にしてない、狭間のデザイナーが、活動を続けられる土壌を作りたいと思っています。こういったブランドって、ファッションを表現することと生きることが限りなく近くに存在していると思ってて。興味のままに生きることが、そのままクリエイティブの厚みになっていると感じます。

こういったブランドが選択肢からなくなってしまうと、ファッションがつまらなくなってしまうんじゃないかなと。

だから、一緒に生きて、続けていきたいと考えています。

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スタイリングの論理化の可能性

現代のスタイリストに求められるもの
蘆田:

狭間にある人たちを残していきたいという気持ちは僕も同じです。そのために必要なのが、感覚を言語化することではないかと僕は思っています。例えばご飯をなんとなく作ってみてすごく美味しいものができたとしても、次の日に再現することも、さらに美味しくすることもできませんよね。プロセスを記録に取ったり、論理的に考えたりすることが、いいものを作り続けることにつながるんじゃないかと僕は思っていて。

制作プロセスの言語化や論理的な思考は、教育のことを考えていくうえでも重要ですよね。スタイリストも学校での教育がなされていますが、スタイリストの教育はデザイナーのそれよりもさらに漠然としているような印象を受けます。先生が学生に教えるためには、論理が必要になってくると思うのですが、スタイリングのロジックみたいなものは、学校でどう教えられてるんでしょう?

山口:

僕が過去に習ったことを思い返すと、色々なスタイルのルーツは一通り、基礎として学んでいきます。民族衣装、服装史、年代ごとの流行のスタイル。それらにどのようなルーツがあって、どのような流れの中で存在していたのかは形式的に学びました。あとはカラーチャートだったり、肌の色との相性だったり、コーディネートを組んでいくための理論みたいなものは教わったと思います。

自分の中では、好きなものや嫌いなものに気付く、個性を探す為のきっかけ程度に捉えていたかもしれません。
なので実際の仕事の場においては、学校で習ったことよりも、その後のトライ&エラーの方が自分にとっては重要な教えが詰まっていました。

現代では特に、教育が難しいタイミングにあると思います。「みんな違って、みんないい」という時代では、収まったり、はみ出すための”枠”がどんどん無くなり、意味を持たなくなってきてる。そうなったとき、自身の個性をどう捉えて、どう磨いていくのかは非常に難しい作業になると思います。

蘆田:

「みんな違って、みんないい」になる少し前の時代、つまり大きな物語を信じているような社会であれば、育成のための教育を考えうるということでしょうか?

山口:

単純に僕らの世代で考えても、今でも活躍しているスタイリストは学生時代から特徴がありました。言い換えると、大きな物語があったからこそ、特徴を自覚しやすかった。なので、自分の特徴を理解して、信じながら積み重ね、頑張ることができたのかもしれません。

反面、現代では、様々な表現が出尽くしていることもあると思いますが、何と比較すれば良いのかも分かりづらいし、自分の特徴を信じきれない学生が多いと思います。おまけに業界が疲弊しているので、長期的な視座を持ち、特徴を際立たせていくクリエイティブなビジュアルづくりよりも、短期的に売上に繋がる、アイテムそのものを良く見せることがどうしても求められてしまう。

こういった状況で仕事を獲得出来る学生を育てようと思うと、少なくともテクニックを言語化し、合理的に伝えていくことの重要性はとても理解出来ます。蘆田さんが仰っているのは、その先の"感覚"の言語化だと思うのですが、そもそも現代のファッションビジネスにおいて、テクニックとして必要なスタイリングの手引きすらも存在しないのでは無いでしょうか。

SNSでムードを伝え、オンラインで購買が完結する今の状況ですと個々の世界で完結してしまうので、伝え方の方法論もそれぞれだと思います。アイテムのブツ撮り一つとっても、シワ無く、理路整然と見せた方が良いブランドもあれば、くしゃっとラフに見せた方が良いブランドもある。どちらも伝え方のテクニックですが、そこに相対的な良し悪しは無く、あるとすれば結果論になってしまいます。そうなると現場に入らないと見えてこないので、僕はトライ&エラーで経験値を積んでいくことが一番だと考えていますし、文化服装学院の学生とはゼミのようなラボを結成して、現場を共有しています。

バーチャルなスタイリング
蘆田:

少し話が変わりますが、リアルな世界でのスタイリングと、バーチャルな世界でのスタイリングって同じなのかどうかをお聞きしたいです。情報化時代におけるスタイリングは、これまでのスタイリングと違うのか、あるいは違わないのか。それについてのお考えはありますか?

山口:

もちろん共通項はあると思うんです。ただ結論としては、現時点ではまだまだ違うなというのが自分の今の考えです。10年前に、ファッション×コスプレをテーマにしたネオコス展を仕掛けたときは、若くて体力もあったので自分の体をある種、アバターみたいに捉えていました。あの時は自分のイメージを過剰に自身に宿していくことが、面白いと思っていたんです。極端に言うと、自分の身体を無視して服を選んでいく感覚でしょうか。動きづらくても関係ないみたいな。なので当時の自分だったら、服をイメージや自身を表現する記号として最も大切に考えていたので、ある程度近いって答えたと思います。

今、実際に自分でもIGTVでのバーチャル販売員やVRマーケットなど、いくつかバーチャルファッションのプロジェクトに関わっていますが、単純にデータの容量の問題なのかもしれないですが、どうしても自分たちが触れている実存としての服の魅力を引き出すことは、まだまだ難しく感じています。漠然としたムードは表現できるのですが、自分のなかではまだ、楽しみ方がわかっていない感じですかね。

蘆田:

実存としての服の魅力とは具体的にどういったことなのでしょうか?

山口:

例えば、今僕が着ているジャケットはマルタン(マルジェラ)で、自分で襟を切ってずっと着ているけれど、着るたびにニュアンスの違いを感じています。経年変化と言えばそれまでなんですけど、自分の中でドキッとする感じが未だにあって。手に入れた当初はペンキもバリバリで固いので、動くと体からどんどんはみ出ていくけれど、それに負けないようにがしがし着ていると、本当にちょっとずつですけど、自分にフィットしてくる。物と自分が一体になっていく感じです。

その実感があるからこそかもしれませんが、まだまだバーチャルは取ってつけた感じがしてしまっています。アイテム画像として見る洋服と、アバターが身につけたスタイルの印象が違わない。自分にとっての驚き、違和感、発見があまりないというのが、今のところ僕が感じていることです。ただ、一方で可能性も感じています。技術も進歩していくでしょうし、体感出来る日を期待しています。

時間とファッション
蘆田:

現実の世界では服が「ちょっとずつ自分にフィットする」というのを言い換えると、時間的な要素が組み込まれているということですよね。バーチャルは逆に時間性が欠けている。素材が劣化することもありませんし、永遠を生きているような感じがする。それで思い出したのですが、去年のメトロポリタン美術館のファッション展も、テーマが「時間」だったんですよね。他にも英語圏でも「ファッションと時間」を主題にした本が出ていて、いま重要なテーマなのかもしれないですね。

山口:

僕もトピックとしては、時間が最も面白いと思います。インターネットの恩恵で昔よりも容易に過去の情報に触れられるようになっていますし、未来に対してもある程度確度の高い未来予想が提示されていると思っていて。大まかな道しるべが見えているからこそ、自分がいる現在地から過去と未来をそれぞれ眺めていける。

でも、ファッションのメインストリームのサイクルは未だにコレクションとして新しいものを提案して、数ヶ月後にすぐにそれを取り払ってまた次のシーズンを迎える形から脱却出来ずにいて。

過去にも未来にもダイナミックな時間軸で向き合うブランドが出てきても面白いと思います。

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データベースが出尽くしたファッション

今の時代の新しさ


蘆田:

ファッションデザイナーにとってもスタイリストにとっても、衣服や服装のデータベースがもう出揃ってしまったような状況にあると思います。あとはディテールや素材とシルエット、アイテム同士の組み合わせでしかない。データベースが完成してしまった現在において、あるいはこれからの時代において、新しい服や服装を作ることは可能なのでしょうか?

山口:

新しさはないって言う方もいますが、僕は諦めたくないって感じですかね。諦めたくないし、フレッシュであることと新しくあることは違う。今はやっぱり、フレッシュであることの方が大事だから、昔のものであろうが何だろうが関係ないと思うんです。

僕個人の話でいくと、色々なものを見てきた分だけ物足りなさは感じていて、もっとドキドキしたいという気持ちは欲求としてあります。それは大きな人数に向けて、大声で何かを発しなければいけない服には期待できないところだなとも思います。

多様な身体性から生まれる新しさ
山口:

可能性があるとしたら、パーソナルに向かっていく方向性だと思います。今年の5月に「True Colors Fashion」という、障がいをお持ちの方々と一緒にファッションショーを行う企画に関わらせてもらいました。義足、義手、車椅子など、身体に寄りそうテクノロジーとも連携しながら、様々なファッションブランドと共にアダプティブな装いのあり方を考えるイベントです。参加された当事者の方との会話の中で、健常者のために作られたアイテムの中に、奇跡的に自分の身体にもフィットするデザインが稀にあって。それを探し当てるのが楽しいという言葉に、新しい気づきがありました。

自分の中で、古着を探しに行く感覚に近いなーと思ったんです。100%自分の身体にフィットする服を探し当てるのではなく、自分から服に歩み寄り、しっくりくる着方を探していくのって楽しいじゃないですか。

だから、単純に機能面だけに目を向けた、100%当事者の身体に寄り添う、便利に生活を送る為の服ではなく、心への寄り添い方を考えることで、許容範囲が生まれ、服に余白が出てくるなーと。

その余白の中で自分たち健常者も着れるものを提案すると、驚きがあるものが生まれ、面白いなと思いました。

蘆田:

今まで「普通」とはされていなかった身体性から新しいものが生まれてくるかもしれないということですね。

山口:

今まで目を向けてこなかったところへ視線を移すことで、新しい世界が広がる感覚でした。

ただ、せっかく生まれた芽のような可能性を、イベントの中だけで終わらせてしまうと意味が無くなってしまうので、これから育てていけたらとも思っています。
自分たちだけでは到底辿りつけないですし、色んな方々と連携していけると嬉しいです。

新しい時間軸への挑戦
山口:

他には、5年前から日本の絹を用いたテキスタイルのプロジェクトに取り組んでいます。織物になる手前の、糸を紡ぐ段階で試行錯誤しているのですが、日本の製糸システムだと、蚕を殺して廃棄しちゃうんですよね。蚕は家畜なので、ある意味で仕方ないと思われてきたのですが、フードテックのチームと連携し、その構造を変えられないか、チャレンジしています。

製糸のタイミングで、蚕を繭から取り出し、食用に回せるような枠組みを作りたいのですが、養蚕農家さんや製糸工場さんとの連携を含めた生産のフローと、蚕の味を大切にした加工方法の折り合いが上手くいかず。構想から2年近く取り組んでいますが、なかなか形にならなくて。
こういったスタンスで新しいものを生み出そうとするときは特に、今のファッションのサイクルの難しさを痛感しています。

ファッションの魅力のひとつに、視点が変わることで
すごく輝いたり、カッコ悪くなる"価値の変容"があると思っています。この変容に大きな作用をもたらすものが、イメージやムードの魔法だと思うのですが、最近特に、このポイントだけを押さえた、上部のブランディングだけ成立していればいいような風潮を感じています。

オンラインでの購買が、情報に依存し過ぎてしまっているからこその状態なのですが、その主なものとして、ロゴTなんかも挙げられると思います。正直、嫌いなんですよね(笑)
品質は同じなのに、ロゴだけ変わると価値が変化するって、虚しくなってきます。哲学や思想があり、デザインや物づくりへのプライドがあるからこそのイメージだと思っているので。

だからこそかもしれませんが、特にコロナ渦で過剰になったイメージ合戦に疲れてしまっていて。例えばNFTに対しても、もっと掘っていったら面白そうな気配もあるのですが、現時点では興味よりも虚しさが勝ってしまっていて、深入り出来ずにいます。

蘆田:

最初に服の構成要素について質問したときに、山口さんは思想性や背景といったことを言ってました。ロゴのような記号性も、そこに入るのかなと思って聴いていたのですが、ロゴTやNFT、あるいはバーチャルなものといった、モノ以外の記号や情報にあまり興味がないというのは、最初の思想性の話とどのように関係してくるでしょうか?

山口:

モノ以外の記号や情報への興味はとてもあるのですが、思想や哲学を情報として消費することに格好良さは感じていません。ブランドを維持する上では必要なこととは当然、理解しているうえですが、"これをやれば売れる"みたいな思想で作り出された服は、どんなブランドであれ、格好悪く見えてしまっています。

どのような想いをどのような手段に込めて生み出しているのか。そこにはどのような情報が宿っていて、どんな記号性や意味を感じられるのか。

その双方を大切に捉え、判断していきたいです。

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