2021.10.29

ケイン樹里安「メディア・日常に埋没する人種秩序とファッションを考える」

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ファッションにおいても人種差別は大きな問題であり、BLM(Black Lives Matter)との関連や文化の盗用をめぐって、特に2020年代に入ってから次々と問題化されている。

もちろん、人種差別はいけない。だが、私たちはなにに目を向けて、なにを行うべきなのだろうか?日常や産業構造に巧妙に隠れている差別の問題にたいして、私たちはどのように立ち向かうべきなのだろうか?今回は、“ハーフ”の人びとの日常的な実践に着目し研究を行っている社会学者のケイン樹里安さんにお話を伺った。

PROFILE|プロフィール
ケイン樹里安
ケイン樹里安

専門は社会学/文化研究。主たる研究テーマ「ハーフ」や外国にもルーツのある人々の日常的実践。コーラと唐揚げが燃料。主著は『ふれる社会学』(共編著、北樹出版2019年)など多数。HAFU TALK ハーフトーク共同代表。

潜む「人種秩序」と行われない「反差別」

まずはケインさんのご関心やご研究について教えてください。

僕の研究は、いわゆる「ハーフ」や「ダブル」「ミックスルーツ」外国に(も)ルーツを持つ人々が日常生活で直面するしんどいことに対して、どのような対処をしているのか、というものです。

そのような対処を経て、人々がどうやってサバイヴしているのか、サバイヴがなぜ困難なのか、という点に関心があります。自分の修士論文が2014年3月で、同時期に『〈ハーフ〉とは誰か 人種混淆・メディア表象・交渉実践』というハーフを主題にした本が日本で出版されました。

逆に、それくらいまで研究がなかったということです。2019年に仲間と刊行した『ふれる社会学』はだいぶ変わっていて、外国につながる子どもの章と「ハーフ」の章が独立しています。それが珍しいよね、と言われるのはありがたいことで、本書の特色の1つではあるのですが、特色になってしまうほどスルーされてきた、つまり社会問題としてみなされにくい領域のままであることに、強い危機感を感じています。

ファッション業界ではBLM、文化の盗用など、人種をめぐるさまざまな問題提起がされています。ケインさんご自身、ファッション業界についての印象やご関心を持った出来事があれば教えてください。

ファッション業界・美容業界は、「容姿端麗で白人身体性をもつハーフ」という、この社会に深く埋め込まれた「理想の身体性」をもつ、イメージとしての「ハーフ」像の構築・維持に深くかかわってきた業界という印象が強いです。

イメージとしての「ハーフ」像にみられる理想の身体性と比較され、そのような身体を持っていないとみなされてきた人々はもちろん、そうした身体性と合致しうると周囲から判断されてしまう人々も、日常の生き苦しさと直面してきました。ファッション業界で働かれているみなさんが意図的に差別しようとされてきたわけではないと思いますが、善意や熱意と差別は残念ながら両立してしまうものです。日々の懸命な仕事が、結果として抑圧につながってきた、ということは否定できないと考えています。

BLMへのリアクションとして、いろいろな企業がステートメントを出していることは、ある意味褒められるべきことというよりは、ある種当然のリアクションなのではないかという冷めた目線と、ないよりはある方が良いという目線で注視すべき、というスタンスです。

ですが、これらのステートメントが「共感」を示すだけのものなのか、「偏った経営陣やプロジェクトの変革」を示すものなのか、注視が必要だと思います。具体的な中身、実質的な改革や今までのプロジェクトを振り返りが重要だと思います。

このような問題にはどのような背景があるのでしょうか?

「人種秩序」と呼ばれる人種によるピラミッド構造が歴史的に作られてきました。暴力的に作られてきたヒエラルキーがある意味、ファッション業界にも持ち込まれてきてしまった。というより、人種の秩序と共にファッション産業が成り立ってきたといった方が正確かもしれません。

文化の盗用問題はとても難しいところがあります。たとえばAmazonだと、カジュアルな羽織ものが「KIMONO」って検索すると出てきますよね。日本語圏で暮らしていると想起する着物とはかなり異なるものとしてKIMONOが変容・受容・展開しており、ひとことで着物/KIMONOといっても、相当異なるものがバリエーションとして出てきています。

同時に、ある文化の素晴らしさを説く言説が本質主義的なものや、近代化の過程で移り変わってきた部分が省みられない点も、気になるポイントではあります。「ある地域の文化」「ある人々の文化」と区切りを入れたときに、文化が越境するなかで変容してきた歴史的過程が後景化される部分もあって。文化の盗用の問題は複雑で、語り出すためには「打ち止まり」をいったんつけないと語れないんですけど、打ち止まりをつけること自体が、尊厳の問題とかかわるので、難しいですよね。

たとえば、オリエンタリズム、つまり西洋が魅力的な外部の文化を発見して、突然それを素晴らしいアイデアであるとか、ネーミングであるとか、テイストであるとして取り上げようとするときに、重い意味でのリスペクト、つまり尊厳こそが重視されるべき状況において、特定の美しさや魅惑が排除されてきた歴史や、抑圧のなかで作られてきた対抗的な美しさの複雑性を省みず、一方的に、そして非対称的に消費する側にひたすら立とうとしてしまう「ものの見方」と実際のプロダクトのありかたが常に問題になると思います。そうした厄介さと向き合わないといけない領域であると思います。

では、ファッション産業における消費者の日常的に潜む人種主義や差別についてどのようにお考えでしょうか?

たとえば、カラコンのカラーバリエーションの中に「ハーフ風」といった表現がみられたり、いわゆる西洋白人を想起させるばかりの「外国人風ヘアー」などの表現が多数みられますよね。特定の人々が「理想的な身体」「魅惑的な存在」としてピックアップされ、人種秩序そのままのかたちで、美の規準や方向性のなかにおいても、従来の階層構造をなぞってしまうことがあります。

美の規準やトレンドが、人種秩序をなぞるかたちで偏ってしまうということですね。美の参照点が偏り、比較され、消費されるなかで、ものすごく大きな傷を累積的に負わせられる人々もいますし、ささいなダメージが長期間に渡って積み重なっていくこともあります。自分の持って生まれた身体が商品化されるモノのように、消費するばかりの目線で見られるということは、望ましい部分だけとは限りませんよね。

24時間365日、そうした目線で見られたいかっていうと、1人の個人として見てくれって思う気持ちは当然ながらあるもので、商品や広告を作ってる人々や組織、外国人ヘアーを営業トークとしてお客さんにおススメしてしまう美容師さんに悪気があるとは思わないですが、その悪気の無さこそがレイシズム(人種差別主義)と、実は密接にあり、日々の抑圧に加担してしまっている、というところが問題です。

人種秩序をなぞるネーミングや表現物、プロダクトを見ている消費者の中にも、当然ながら当事者やその身の回りの人々がいること、加えて、自分たちの仕事の成果がマジョリティ(多数派)の手に届くなかで、抑圧が維持再生産されている可能性に、一歩踏み込んで考えることが求められていると思います。「ハーフ顔メイク」にかぎらず、「オルチャンメイク」や「チャイボーグ」といった言葉の絶妙な使い方のニュアンスが、使っている・楽しんでいる本人たち、さらにそれらの技法やトレンドについて論評している人々もまた、レイシズムやそれに対抗する人々の創造的な実践と無縁の地点にいるわけではない、というところまでいったん踏み込む必要があるかと思います。

そのような商品や広告を打ち立てる企業はどのような現状にあるのでしょうか?

例外はありますが、基本的に企業は積極的に差別をしようとしているわけではないのですよね。取り組みをしている企業もあるでしょう。ただ、注視すべきポイントは、「脱差別」ではあっても「反差別」ではないのでは、というところだと考えています。自分たちが積極的に差別をすることはせず、そもそもガイドラインやポリシーはあるし、既存のステークホルダーとの関係性もあるので、脱差別はしている。ただ、それが反差別かと言われると微妙なのでは、という事例を見かけることが多々あります。たとえば、自社関連サイトの人種差別的な書き込みや、人種に限らず、当事者や周囲の人々を抑圧するような投稿を放置しているのは、企業としては差別に加担してるつもりはなくても、つまり脱差別であるつもりでも、実質的には反差別ではないし、それらを放置することによって、当該のブランドから離れたり身にまとうことを控える人々もいると思うんです。というよりも、離れざるをえない、控えざるをえない、というしんどさはあると思ってます。それは自由な選択の結果というよりも、「離れる・控える」ことを促されてる、といえますよね。

たとえば僕はよく、adidasを着てたりGU・ユニクロの服を着ていたりもするんですが、これらの企業では、ウイグルの強制労働や廃棄方法が社会問題になっていますよね。一方で、人種的多様性や性的多様性が当たり前にある社会を広告上ではしっかりと描こうとしていたりします。

ただ、実際のところ、どこまで社会的な抑圧に対してリアクションしているのだろう、と懐疑的になってしまうことも事実です。抑圧をスルーするばかりの企業群よりははるかによいと思えますが、どこまで反差別なのだろう、と。今ある不平等や不正を解消しようとしっかりコミットするところまで、見せてほしいですよね。人々に理想を提供する産業だからこそ、こういう社会のほうがいいよね、だからこそ抑圧を放置するのはあかんよねって、きちんと中身をともなって打ち出すのであれば、それはいち消費者としても、その企業のプロダクトを選びやすいですよね。差別をスルーするのではなく、そして、表層的な脱差別だけではなくて、明確な反差別。消費者の声を取り上げつつ、マイノリティの従業員の声も収奪するばかりではなく、企業の枠を超えて社会に介入していく、というスタンスに期待したいです。

とあるECサイトのアイテムに「多様性を意識していると思うのですが、国内サイトなのでそこまで意識しなくても良いと思います」というコメントがユーザーから寄せられていました。肌の色が「日本人らしくない」モデルを起用していることへのクレームで、あまりにも直接的な文言でしたので、しばらくスマホを握ったまま固まってしまいました。こうした言葉の背景には、「人種差別は海外にはあるけど、日本は『日本人』ばかりだし、人種差別なんてないよね」という、あきらかに誤りのある「常識」がこの社会にあることを示唆してします。こうした「常識」は、「多様性はアピールするものであって、実践すべきことではないし、現状自分たちの周りにあるものではない」という、現実をすっとばして未来の話にしちゃう言葉と、とても近しい、そして、厄介なものだと考えています。

多様性は今までもずっとあったし、今もあるっていうところが抜けがちなのですよね。外部の問題であって内部の問題ではないという。ただ、さきほどの、匿名ユーザーのコメントって、当事者に微小な傷をもたらすものであるように思われそうですが、自分がいつも使っているサービスであったりとか、自分が使っているブランドの消費者が、匿名で自分たちの存在を否定してくる怖さみたいな、しかもそれを、積極的な介入をしないことで、企業が実質的に放置してしまっているという、薄気味悪さとカジュアルな抑圧みたいなところがオンライン空間でまだらに広がっていますよね。

このようなサイトには、不適切なコンテンツに対して通報するフォームはあるんですが、介入を消費者に委ね続けるままで良いのか、という論点を想起する必要があります。カスタマーの投稿をカスタマーが通報する、という自浄作用にどこまで託していいのか。これだけ不平等と差別を見ない・気づかない・知らないみたいな状況が重なっている中で、通報ボタンだけがあって介入しませんっていうのは、抑圧サイドに自分たちのブランドはいるんですよって、メッセージを発信していることにもなりますよね。

メディアで多様化する差別の担い手

ファッションにおいても、SNSなどを通して提起や炎上が起き、問題に対する認識が広まってくることもあると思います。メディアやプラットフォームに対して、どのように考えていますか?

ファッションに限らないですが、プラットフォームそのものの問題を考える必要があります。「モノを売りたい・買いたい・見たい人がいて、自分たちは自由な売り買いの広場を提供してるだけなので!」というプラットフォームビジネスにおいて、そこで差別が発生しても「自分たちの責任ではないので・・・」と積極的に対処しない点は批判されるべきです。「広場」の提供者の問題でもあるのですから。

ファッションと離れますが、Airbnbでもアジア人差別をしたレイシストの取り扱いが話題になったことがあります。これはサービスの提供者と顧客との間の差別現象として取り上げられましたが、Airbnbがその後、何をしているのかを問いただしていく動向はなかなか取り上げられません。こうした、プラットフォーマーが実際のところ何をしているのか、何をしていないのかが不可視化される傾向は、YouTube、Amazon、ファッション系のサービスにも同様にみられますが、とても厄介ですし、問題だらけです。新聞やテレビだったら誤報や差別に加担した際には訂正や謝罪が入りますが、プラットフォーマーは自分たちが場所貸しをしている体裁をとっているので、なかなかコミットしないところがあります。

プラットフォームにコメント欄があるとユーザーがコミットしやすくなるので、ユーザーを滞留させようとコメント欄を作るようにしていますよね。そして、だからこそ、何か差別発言があったときも企業としては十全な対処をせず、あっても「通報ボタン」くらいで、あくまでもカスタマーの自発性に任せて、通報を待つという姿勢です。これって、実際には、本来であれば企業がやらないといけない労働を消費者に無賃で労働させているのですよね。企業がやらないといけない監視・チェック、研修や教育、反差別の取り組みを外部に丸投げし、労働させ、それを利潤につなげているので、極めて狡猾だし、批判すべきだと思います。

消費者がSNSでハッシュタグを使いながら問題提起を行うことは大きな力を持っています。ですが、企業が自分たちの教育、学習、研修などを自分たち自身の手で先んじて行う必要があります。現状は、差別をスルーしやすいポジションでビジネスを行うばかりで、非常に問題だと思います。

責任の所在がうやむやになる、あくまでも後から対処するという姿勢に、根本的な対処の姿勢が見出されないことが問題なんですね。

そうですね、「あとから対処」というのも、本来であれば企業がやるべき労働を、私たちに先んじてさせているからこそ、可能となるものです。私たちは、思想家のジョナサン・クレーリーが『24/7』で述べたように、24時間365日、休めない労働を無賃でさせられているといえます。その結果としてのプラットフォーマーの「成長」があるわけですから、その「成長」のありかたを問いただす必要があると思いますし、そもそも企業が自ら問いただすべきだと思います。

ファッションで活用されるプラットフォームは、アルゴリズムによるレコメンドによって特定のトピックばかりが表出したり、バイアスが強化されることも問題視されることがあります。

難しい問題があると思います。ある企業広告がステレオタイプな表現をしていて問題があるという声に加えて、インフルエンサーになってくると、批判対象がインフルエンサーおよびインフルエンサー志望の人々になってくるので、面と向かって批判しにくいところがありますよね。

既存のステレオタイプを再生産する人たちがインフルエンサーとその予備軍として影響を持ってしまっていて、生産者と消費者という二項対立で考えているだけだとレイシズムも差別問題もなかなかうまく解きほぐれないなと思うところがあります。ステレオタイプ維持再生産のプロセスに、インフルエンサーやインフルエンサー志望、彼らをフォローしている人々の日々の服のチョイスや何気ない投稿と深く結びついてしまっているので。

たとえば、TikTokで「Yes or No」 みたいな質問を画面で打ち込んで答えていく中で、ハーフですか?っていう質問が高い確率で出ている時期がありました。

人々がプラットフォームで創造的に楽しむ際に、「人種」っていう差別のために作り込まれた区別が再生産されているのと同時に、「何らかの美しい属性を持った人がハーフなんじゃないか」という人種的偏りをもった着想が再生産されてしまうという現象です。

上記の「楽しさ」のバックには具体的なサービスや商品を提供する企業がついていることもあれば、一人の投稿者の場合もあって。その投稿にいいねがついて当事者がモヤモヤしていることもあります。差別の担い手がますます、デジタルプラットフォーム上で多様化していて、差別に加担してしまう人が多数発生してしまうという構図です。

問題性に気づいた人々が指摘をすると「気にしすぎですよ」って返されてしまったりとか「自分はそんなつもりはないです」「憧れているんです」「自分はこういうのが好きでみんなにシェアしたくて投稿してしまってました本当にごめんなさい」って自分の欲望や善意や想いの話にすり変わる。やってみたい楽しさ、理想像を追求するのは否定したくないし、わかる部分もある。

楽しさ、自分の理想、既存の、あるいは対抗的な美しさを創造する人々の実践に、この社会でなかなか居場所を見いだせない人々が巻き込まれてしまう現状と、どのようにして折り合いをつけるべきか。この問題は非常に難しいです。けど、スルーするわけにはいかないし、言葉の使い方からでも、考えたいところですよね。

それは、デジタルプラットフォームのアーキテクチャで解決できるのでしょうか?

アルゴリズム的な対処が難しいのはいくつか論点があって。まずは、プラットフォーマーに「対処しているよ」と言われてしまったら、「本当に対処してるのか?」とこちらが疑っても信じても、技術者でもないかぎりわからないですよね。

あと、対処の仕方として何がありうるのかも同時に考える必要があります。(このインタビューの打ち合わせのなかで話題にでた)アジア系のルーツの人々の姿が、パリジャンやパリジェンヌといったハッシュタグで一緒に表示される状況は、既存の人種秩序をなぞるだけではない、プラットフォームのありかたを模索するうえで、とても示唆的だと思います。美にかかわる仕事についている人々が、創造的な実践を行う人々をただただ特定のステレオタイプに押し込めるのはなく、また、企業もいろんな身体を「とりあえず揃える」だけではなく(とりあえずでもやらないよりかはいい、という側面もありますが)、こういう美しさもあるよねって、ポジティブに提案することはできるわけですよね。ぜひやってみてほしいし、その意義はあると思います。パリジャンやパリジェンヌに限りませんが、ある種の集合性をもった美のイメージについて「いいな」と思っている人々にとって、そこに自分の居場所がないことは非常にストレスですし、まさしく日々の抑圧だと思いますので、そこは工夫が必要だと思います。

まずは形式的にでもやってみて、人種秩序に自分たちのアルゴリズムがずるずると巻き込まれていないか注意する必要があります。どこまでコントロールするのかという問題は難しいんですが、放置していることだけが正解ではないと思います。

広告で終わらない「かっこよさ」へ

ファッションでは、美しさなど見た目に関するイメージは重要なので、差別に対する批判的なまなざしも、かっこよさやトレンドとして軽薄に消化されてしまう懸念もあります。しかし、かっこよさから生まれる理解もあるのかもしれません。こういった可能性や、そこで気をつけねばならないこととはどういったことでしょうか。

NikeのCMで昨年話題になった、レイシズムやセクシズムにコミットしてますよ、というものがありました。企業広告としても表現物としてもクオリティが高かったですし、マイノリティの問題経験にコミットした表現である点もよかったとは思います。ですが、その「かっこよさ」がなぜ生まれたのかというと、日本社会でそうした企業広告がほとんどなかったからってことなのですよね。だからこそ、目立ったし、そのぶんリアクションが相次いだわけです。

軽薄って呼ばれるのかもしれないですが、僕たちは全部勉強して行動に落とし込んでいくだけでなくて、自分の感情が揺さぶられたり、「ああ、なんかいいかも」と認識する前の情動ですら服を購入することはあるわけで。

そういうかっこよさとかトレンドとかを作っていくには、やはり服は重要なメディアだと思うんですよ。服とか化粧もですが、人々の欲望と密接な業界だからこそ、欲望から考えていくこと、多様なルーツと複雑な社会問題を考えるための入り口や振り返り地点を作ることに意義があると思います。衣服を纏うことが、社会について考える契機になるわけですよね。

そういう入り口や振り返り地点を作ることができるところに可能性を感じますが、一方でかっこいいの水準を追求していってほしくもあります。広告で終わりにしないというところがまずは重要です。たとえば、Nikeであれば、広告表現したのであれば、社会問題や差別問題に対して、きちんと社内研修を行ったり、イベントやオープン型のシンポジウムなどを継続的に行いながら、かっこよさを作っていってもらえると良いのではと思います。

我が身を振り返ることで、ブランドの発信しているサービスやメッセージと企業姿勢が合致し、そこで生まれるかっこよさや美しさがあると思いますし、それは追求していくとおもしろいのではないでしょうか。

たとえば、僕はNikeの靴がいまひとつ身体にフィットしない感覚があります。そういう意味では、僕みたいな身体があることは、考慮されてないのですよね。残念ながら。具体的なプロダクトに、自分の居場所がない感覚。きっとこれは、僕だけの経験ではないでしょう。斬新な広告やステートメントを打つことも大切だけど、商品のラインナップを取り揃えるときや、あるいは企業の姿勢としてなにかを打ち出すときに、表層的な取り組みだと割り切ってしまうのではなくて、自分たちのビジネスモデルをどう考えていくかが重要ではないかと思います。

形式からでもいいので形からやって、うつわをきちんと作って、儲けるところは儲ける。従業員の中で人種差別やセクシャルマイノリティ、障害者の雇用率が実は低いみたいな、多様性を実質的なものにしながら、改善点は改善して、ブランドを自身が放つメッセージとしっかりつなげる実践に可能性を感じます。

自分たちだって着ないわけにはいかないですし、一番身近になるメディアが人種差別の問題にコミットしてて、商品も出すし、日は当たらないかもしれないけど社内研修をやったり、寄付などもしてくれているとますます着たくなりますよね。うまく欲望をドライブさせながら、かっこよさを追求してもらえると良いんじゃないかな、と思います。資本主義批判が流行ってますが、敵対的関係のなかで、もっとうまいことできる部分もあるのではと思ってます。どっちかをとるんじゃなくて、どっちもをとれると美しいんじゃないかなと思います。

最後にケインさんが研究者として、社会学者として取り組みたいことあれば教えてください。

研究者って商業主義的なものから距離を置くべきだという風潮が強いのですし、その意味も非常によくわかるのですが、ポピュラーなものは人生の根幹において重要ですよね。だからこそ、差別とポピュラーなものが絡まる地点について論文をはじめとして色々書きながらも、研究者たちが書いてきたものを貪欲に発信することにも取り組みたいなと思っています。資本主義と敵対的な関係は極めて重要なのですが、敵対関係をもって協同できることはきっとあるはずなので、そういう意味では緊張関係を研究者と結んでもらってもいいのかな、とは思います。産業側の取り組みに関与したいとは思いますし、少しずつ実践もしています。

緊張感を持って一緒に何かやれることはあるはずだと感じています。

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