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愛着界隈

“モダンガール”の界隈 1920~30年代のスタイルを愛する女性たち

2026.02.20
──100年ほど前のこと。日本に「モダンガール」と呼ばれる女性たちがいた。
彼女たちのなかには、自分の仕事を持っている人や、夜はダンスホールで踊り、お酒を楽しみ、家柄にとらわれずに自由に恋をする人もいたと言われる。そして何よりも、自分たちのファッションを持っていた。ローウエストの軽やかなワンピースに、髪型は前下がりのボブヘア、そしてクロッシェ帽だ。
髪を結い、着物を着て、お見合い結婚をする......。それがまだまだ常識だった1920~30年代の日本に現れた、都市に生きる女性のライフスタイルである。
今回の「愛着界隈」は、モダンガールの時代をいまも追いかけ、楽しむ女性たちに会いに行こう。

PROFILE

淺井 カヨ(あさい かよ)

一般社団法人「日本モダンガール協會」代表として、大正~昭和初期に関する執筆、催事の企画、展示、講演などを行う。2004年頃からモダンガールの研究を続けている。
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Kazumi(カズミ)

モガレコード代表。戦前スタイルのジャズシンガー、ジャネット・クライン・アンド・ハー・パーラー・ボーイズ(アメリカ)との仕事をきっかけに1910~30年代のヴィンテージファッションに惹かれ、愛好家に。
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小野 みのり(おの みのり)

トラッドジャズチューバ奏者。多数のバンドに所属し、精力的に演奏活動を行う。ステージ衣装探しのなかでモダンガールのファッションと出会う。
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100年前の服が教えてくれる “新しい女性”のすがた

取材は、モダンガールを研究する淺井カヨさんの自宅(小平新文化住宅)で行われた。 電話、電車、カフェなど、いまの生活に欠かせないものがだんだんと普及してきた大正~昭和初期の生活様式を取り入れた室内は、当時の家具や雑誌が並ぶ博物館のような空間だ。
左から小野みのりさん、淺井カヨさん、Kazumiさん
3人は愛着ある装いで集まり、それぞれとっておきのアイテムを見せてくれた。
「今日は1920年代のアメリカのワンピースを着てきました。鮮やかな花柄がこの時代らしいと思っています。首の後ろや裾にもリボンがあしらわれているところがお気に入りです」
そう話す小野みのりさんは、ディキシーやニューオーリンズなどのジャズ演奏家だ。
1920年代のドレス。はじめて買ったモダンガールの時代の服だという(小野さん私物)
持参したアイテムも、1920年代のアメリカのワンピースだ。20世紀初頭の欧米の女性たちのファッションは、動きにくいコルセットから、より動きやすいスタイルへと変化していった。黒いシルク生地に飾りボタンとドレープがかわいらしい一着は、海外オークションサイトのEtsyで巡り合ったという。
Kazumiさんは1930年代頃の装いで参加した。見せてくれたのは丈の長いコットンのデイドレスだ。
1930年代コットン製の薄く繊細なドレス(Kazumiさん私物)
「ロサンゼルスで古着屋を経営している友人から購入しました。襟や袖がいまの時代にはないつくりで面白いですよ。シルエットは、1920年代よりもハイウエストです。30年代に入るとフェミニンなプロポーションへ変わってくるんですね」(Kazumiさん)
アメリカ海兵が履いていたパンツからインスパイアされた1930年代中期の復刻品。「NY在住のデザイナーMutsumiさんのブランド『Allure Original Styles』の作品です。ボタンがサイドにあって裾が広がっていく『ラッパスタイル』が当時らしいですね」(Kazumiさん私物)
生地をジグザグに縫い合わせていたり、ステッチがアシンメトリーだったりと、パターンもとても凝っている。淺井さんは、ヴィンテージでもいま買える服でもなく、自らオーダーした服を着て参加した。
「私は日本のモダンガールが着ていた服を仕立屋に持ち込んで『復刻(リプロダクト)』してもらい、普段着として着ています。オリジナルの国産の服はとても貴重で、史料として保存したいものです」
そう語る淺井さんは、1930年代の日本でつくられたワンピースの実物を見せてくれた。
1930年代の国産ドレス(淺井さん私物)
それは骨董市で見かけたという、当時の洋服──。19世紀半ばの開国以来、日本に入ってきた欧米の文化に出会った日本人の驚きと憧れが、ボタンや生地などディテールの一つひとつから伝わってくる。

「モガの髪型」にしてくれる美容室はどこ?

小野さんと淺井さん(左・中)のワンピースは20sスタイルのローウエストで、すとんとしたラインが特徴だ。30sのドレスを着たKazumiさん(右)と比較するとシルエットの違いがわかる
服のほかにも、モダンガール(略して「モガ」とも呼ばれた)の特徴はいくつもある。たとえば、前下がりのボブだ。実は、この髪型をつくるのは簡単ではないと3人は口をそろえる。
「美容院や床屋に当時の写真を持ち込んで『同じ髪型にできますか』とお願いしたのですが、難しかったですね。何軒か回って、やっと『できます』という床屋に巡り合えました」(淺井さん)
「私は1920~30年代のカルチャーが好きな若い理容師さんに出会えてから、行きつけになっています」(小野さん)
基本的には「おかっぱ」だが、「モガ」らしい雰囲気というのがなかなか出ない。ツボを押さえてくれるヘアスタイリストを探す苦労は、この界隈ならではの悩みだ。
20sのデザインを引き継ぐ「Bésame Cosmetics」(左右)と20s当時の「Coty」のコンパクト(中央)
モダンガールは、メイクも当時の最先端を楽しんでいた。国産のリップスティックが日本で初めて登場したのは大正時代だ。特に仕事を持っている女性たちにとっては、タイパよく化粧ができるという意味でも便利なアイテムだった。
「いまでも、クラシックな雰囲気のコスメが買えますよ。『Bésame Cosmetics』など、当時の形で復刻しているブランドもあります」(Kazumiさん)

レトロファッションの社交界

ヴィンテージスタイル仲間の集い『東西伯爵新年會』での3人
モダンガールの愛好家たちは、どのようにして出会ったのか。
「日本にはモガだけの装いで集まるイベントはありません。でも、ヴィンテージファッションの愛好家たちがいろいろなパーティを開いているんです。そこで男性も女性も交流しています」(Kazumiさん)
1930年代の日本のビーズバッグ。「骨董市で購入しました。ハンドメイドであしらわれた美しいアシンメトリーの柄が気に入っています」(淺井さん私物)
そう──。モダンガールと同時期に、派手なスーツや革靴を身に着けた「モダンボーイ」も登場していたのだ。燕尾服にシルクハットの紳士スタイルも輸入され、愛好家のコミュニティがある。
『東西伯爵新年會』にて 写真提供:MiAさん
そのほかにも、大正レトロやアール・デコをテーマにした展覧会やイベントに出かけたり、SNSでポストし合ったり。海外の愛好家とやりとりすることもある。1世紀以上も前のトレンドが、いまも“モダンガールの界隈”に息づいているのを見ると、ファッションが持つ力に改めて驚かされる。

モダンガールと、私たちのこと

和装が当たり前だった時代に洋服をまとって都市に登場した「モダンガール」は、いまの私たちにつながる、自由な女性の“駆け出し”だったと言える。彼女たちが選んだ生き方は、いまでは想像もできないほど大きなチャレンジだったはずだ。
「大正末期から昭和初期に若い女性が洋服を着ていても、全員が『モダンガール』と呼ばれたわけではありません。なかでも特に『モガ』と呼ばれた若い女性は、『不良娘』のような批判的なイメージが多くありました。それは、良家の子女とは異なる装いだからです」(淺井さん)
若い女の子が新しいファッションを楽しんでいる......。そんなポジティブな反応だけではなかったのだろう。いくら働く機会を得た女性が現れた時代ではあっても、当時は男性しか就けない仕事のほうがまだ多い。女性が総理大臣になるどころか、参政権すら認められていない時代だ。髪を短く切ることすら、「とんでもないこと」と見なされた。
「大正から昭和にかけての資料を調べても、モダンガールやモガと呼ばれていた女性は一様ではなく、多様な存在でした」と淺井さんは語る。当時の雑誌でモダンガールについて座談会が組まれた際にも、意見は大きく分かれていたという。
およそ20年にわたる研究を重ねてきた淺井さんもまた、モダンガールをひとつの型に定義することはできないと話す。ただ、その多様な姿のなかには、時代の節目に社会へと踏み出した女性たちの姿が確かに含まれている。個性ある装いは、彼女たちの意志の表れだった。
モダンガールは、単純な記号ではない。流行ではあったが、固定された理想像ではなかった。日本が大きく変わろうとしていた100年前、さまざまな立場の女性たちが、それぞれの形で自らの装いを選び取っていた。そのなかには、社会へ進出する女性の姿もあっただろう。
昭和一桁の終わりになると、流行語としての「モダンガール」という言葉は使われなくなっていった。しかし、装いを通して自分の立場を表そうとする意志は、いまも小さな界隈のなかで静かに受け継がれている。

Photo by Akinori Kawanishi

Text by GANTAN

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