海外愛好家も惹き付ける3代目・清水醉月の急須、醉月陶苑による四日市萬古焼
2026.04.07
海外愛好家も惹き付ける3代目・清水醉月の急須、醉月陶苑による四日市萬古焼
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萬古焼の生まれは洒落ている。18世紀に桑名(三重県)の豪商だった沼波弄山が、茶趣味が高じて開窯した。教養豊かだった弄山は、京焼の技法に更紗模様やオランダ文字などの意匠を取り入れ、江戸でも窯を開くなど評判を得た。その際に弄山が、いつの世までも残るようにと思いを込めて「萬古」または「萬古不易」という印を押したため、萬古焼と呼ばれるようになった。弄山没後、萬古焼は一時途絶えたが再興が起こり、その流れの一つが四日市萬古焼として今に続いている。四日市市の高台に工房を構える醉月陶苑を訪ねた。
PROFILE|プロフィール
清水 醉月(しみず すいげつ)
清水 醉月(しみず すいげつ)

陶芸家

いいものを作れば人は見てくれる

石油コンビナートが広がる四日市。海沿いにある産業道路から西へ丘陵地を登っていくと、立ち並ぶ工場群の向こう側に伊勢湾が見え始めた。醉月陶苑がある辺りはかつては別荘地だったそうで、沿岸部が工業地帯として埋め立てられる前の、風光明媚な四日市の残り香が漂う。

醉月陶苑が始まったのは明治33年。明治2年生まれの初代・醉月、鋼三郎が興し、当代の洋さんで3代目になる。初代は焼き物を始める前は、地元の郵便局長を務めていたそうだ。

「江戸時代、家は桑名藩の代官をやっとった」

通された陶苑の庭を抜けた奥の作業場で、土をこねる3代目との会話が始まった。

「僕は(祖父に)会ったことはないけど、親父(2代目・醉月)に言わすと酒が大好きで身上を潰したと言っとった。内職という形で始まったんかな。僕もお酒、よういただくんですわ(笑)。俳句もやっとったもんで、その号が醉月でした」

初代・醉月の焼き物は「型萬古」。木型を用いて急須などを作った。型萬古とは、沼波弄山以降、絶えていた萬古焼を再興した森有節・千秋兄弟が生み出した技法である。しかし時代と共に型萬古は衰退していき、ロクロでの成形が中心になった。醉月陶苑も、2代目からはロクロを用いている。

「親父は初めから100パーセント急須。焼き物の職人は、今でこそ先生と呼ばれる環境があるんだけど、その頃は作家とも何とも言われん。ただの職人というか、それが生活の糧やったね。作家活動もないし、魅力も僕ら感じなかった。そういう時代やった」