指定がある学校ならしぶしぶそれを使うしかないスクールバッグだが、流行のアイテムとして見たときのスクールバックに対するこだわりは、いつの時代も計り知れないものがある。
規定のスクールバッグの金額より少し高くなっても、他校やブランドのスクールバックが欲しくなってしまったり、オリジナリティを出したくなったりするのはなぜなのだろう。
高校生活という青春時代をともにするだけあって、まるで相棒のような存在の「スクールバッグ」も、時代とともにさまざまな流行の変化があった。現代ではバッグのタイプもリュックやショルダーバックなど多様化が進み、平成の頃と比べるとスクールバックの形もだいぶ選択肢が増えたと思う。
90年代から00年代の時代だけでも、スクールバックはさまざまな流行を経てきたが、00年からずっと、制服カルチャーにおいてその確固たるポジションに君臨し続けているのが
イーストボーイ(EASTBOY)だ。
イーストボーイはなぜ、00年代初期から現代に至るまで人気であり続けるのだろうか。
今回はイーストボーイを軸に、90年代から現代までの青春時代の思い出が詰まったスクールバックを振り返ってみたい。
90年代のスクールバックの流行と背景
90年代のスクールバックの話に入る前に、少しだけ80年代の制服カルチャーに触れると、80年代は「制服のモデルチェンジブーム」の始まりの時代だった。70年代から80年代前半は、ヤンキー文化の影響で「スカートは長い方がおしゃれ」という価値観がいまだに残っていた。
しかし、80年代半ばから都内の私立女子校を中心にブレザースタイルにモデルチェンジすると、変形学生服は次第に影を潜めるようになる。
この時代のスクールバックは、女子高生の流行の中で生まれたというよりも、ブレザースタイルに似合う学校側から指定された革鞄が多かった。
そして、1993年あたりから時代の雰囲気は変わっていき、女子高生が流行をけん引し始めた。それまで社会現象になるまでの流行は、主に女子大生を中心に生まれていたが、今度はそのスポットライトが女子高生へと移る。
小さなギャルという意味で「コギャル」という呼称もこの頃から生まれ、当時の派手な女子高生たちの代名詞となっていた。
世間が女子高生に注目し始めた90年代前半は、バブル期の時代の流れもあり「エスプリ」の大きいトートバッグや「GUESS」の大きいトートバッグ、「エルベシャプリエ」といったブランドもののトートバックをスクールバックとして持つのが人気だった。カジュアル派の学生も同様に「L.L.Bean」のリュックなど、ノーブランドのバックを持つというよりは、ややブランド志向の時代でもあった。
学生の必須アイテムであるスクールバッグも、たかがスクールバックとは言えないほど、流行スタイルが様変わりしていくのがわかる。
90年代中期から後半にかけては雑誌やストリートが熱を帯び始め、女子高生たち自らが「女子高生」であることの価値を意識し始めた時代だった。
この頃からスクールバッグは他校のものを持つのが流行したり、ポスカでタギングや落書きを書いたりといった特徴が見られた。
女子高生にとってスクールバッグの存在は、自身の「価値や個性」を定めるアイコン的なポジションにまで登り詰めたのだ。
そして、1995年あたりからジワジワと人気になってきた他校のスクールバックは、1997年頃になると「有名校のスクールバッグ」へとさらなる変化を見せ、この流れは一気に広まった。
現代で言うメルカリのようなフリマアプリがない時代にも関わらず、「有名校のスクールバッグ」は本物のブランドバッグ同様の値段で取引されていたぐらいだった。
この有名校のスクールバッグブームの背景には、高校生に人気だった『東京ストリートニュース』や『POPteen』などの雑誌の読者モデルの存在が一役買っている。
現代で言うと、インフルエンサーのような役割だった人気読者モデルと同じスクールバックを使うことで優越感に浸れるというのが前提であったが、単純に流行っているから欲しいといった理由でも人気だった。