1964年の東京オリンピックでは七宝焼で五輪のマークが制作されましたが、近年では樹脂での着色や海外生産に置き換えられています。日本国内での需要は減少し、かつて40軒以上あった組合員は、今では5軒ほどにまで減りました。
「昔は色を入れるといえば七宝焼でした。で も今は樹脂が主流です。中国で安く作って日本で販売する流れが一般的になってしまいました」
畠山さんは、そうした現実を冷静に受け止めつつも、ただ衰退を見守ることはしませんでした。外部からの依頼に応えるだけでなく、自ら型を作り、製品として発信するスタイルへと変化させてきたのです。
長い職人人生の中では、忘れられない失敗もありました。祭りで使用する太鼓のデザインを手掛けた際、色を間違えて1,000個以上作り直したこと。プリカジュールの大作で1ヶ所だけ仕上げられず、悔しい思いをしたことも。
「失敗は辛いですが、それ以上に次への工夫や気づきを与えてくれる。挑戦し続ける限り、必ず次につながります」
その言葉には、積み重ねてきた経験と職人としての覚悟がにじみ出ています。
