丸正織物工房の3代目が挑む琉球絣の再定義 ──「産業」としての工芸
2026.03.23
丸正織物工房の3代目が挑む琉球絣の再定義 ──「産業」としての工芸
※音声読み上げ機能はAI生成のため、
読み間違いが発生する場合があります。
リンクをコピーしました
※音声読み上げ機能はAI生成のため、
読み間違いが発生する場合があります。
沖縄県南風原町(はえばるちょう)。那覇市に隣接するこの町は、かつて多くの織物工房が軒を連ねる「絣(かすり)の里」として知られていた。戦後の焼け野原から復興し、人々の生活を支えてきた琉球絣(りゅうきゅうかすり)と南風原花織(はえばるはなおり)。しかし、時代の変化とともに職人は減少し、産地としての機能は縮小の一途をたどっている。
この地に工房を構える「丸正織物工房(まるまさおりものこうぼう)」の3代目、大城さんは、異色の経歴を持つ。東京・表参道でアパレル販売員として勤務した後、29歳で帰郷。家業を継ぐにあたり、彼は伝統を単なる「守るべき文化」としてではなく、持続可能な「産業」として再定義しようと試みている。その挑戦の軌跡と、未来への展望を追った。
PROFILE|プロフィール
大城 幸司(おおしろ こうじ)
大城 幸司(おおしろ こうじ)

1981年生まれ。2009年 実家の丸正織物工房に入社。

2016年 第90回 国展入選

2017年 第91回 国展入選

2018年 第92回 国展入選

2018年 琉球王国文化遺産集積・再興事業  『木綿紺地絣衣裳表地』制作

2019年 第93回 国展入選

2021年 第95回 国展入選

国画会 会友

琉球絣の産地、南風原で祖母・両親のもと研鑽を積む。今現在は受け継いだ伝統的な技法を基盤としつつ、琉球絣の表現の幅を拡げながら、三代目として工房のさらなる展開を日々追求している。

異色のキャリアと「生活の糧」としての原点

丸正織物工房の歴史は、戦後の混乱期にまで遡る。大城さんの祖母と祖父が結婚し、湯のし(ゆのし)業を始めたことが起源だ。祖母は隣接する地域から嫁ぎ、小学校4年生の頃から織りに親しんでいたという。当初は産地内分業の一環として、他の工房の経糸(たていと)を巻く作業などを請け負っていたが、やがて自らも織機に向かうようになる。舞踊衣装を扱う店からの注文をきっかけに、本格的に織物工房としての歩みを始めた。

2代目である大城さんの両親も、組合活動や後進の指導に尽力しながら工房を守り続けてきた。しかし、大城さんが家業を継ぐことを申し出た際、周囲の反応は消極的だったという。

「僕が29歳の頃、東京から戻って『継ぎたい』と言ったら、親からは『やめておけ』と反対されました。当時はリーマンショックの影響もあり、業界全体が冷え込んでいた時期です。実際に家業だけで食べていける状況ではなく、早朝にアルバイトをして、午後から工房で仕事をするという生活が5年ほど続きました」

東京では表参道のアパレル店舗で勤務し、ファッションの最前線に身を置いていた大城さん。なぜ伝統工芸の世界に戻ったのか。その背景には、幼い頃から見てきた祖母の姿があった。

整経作業をされる大城さんのお母様
整経作業をされる大城さんのお母様