一組40枚に宿る覚悟:中島清吉商店が守り続ける将棋駒づくり
2026.01.28
一組40枚に宿る覚悟:中島清吉商店が守り続ける将棋駒づくり
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山形県天童市。将棋駒の音が、この町の日常に溶け込むようになってから、150年近い時間が流れている。
明治13年創業の中島清吉商店は、天童将棋駒の歴史とともに歩んできた老舗だ。将棋駒は、対局に用いられる道具である以前に、指す人の指に触れ、年月とともに艶を深めていく工芸品でもある。
一組40枚。そのすべてに同じ表情を宿らせるために、素材を選び、時間をかけ、技を尽くす。同店が守り続けてきたのは、効率とは真逆の「覚悟」そのものだった。
PROFILE|プロフィール
中島 正晴(なかじま まさはる)
中島 正晴(なかじま まさはる)

1961年生まれ 
大学卒業後 家業の中島清吉商店に入店 将棋駒製造の修行を始める。

2017年家業を継ぎ4代目店主となる。

2021年より山形県将棋駒協同組合理事長。

将棋の町・天童と駒づくりの始まり

天童が将棋の町となった背景には、江戸時代の藩政がある。
この地は、織田信長の末裔にあたる織田藩の所領だったが、財政は常に厳しかった。

十分な俸禄を得られなかった下級武士たちは、内職として将棋駒づくりを奨励される。
明治維新によって武士という身分が消滅すると、その内職は「職業」となり、天童の地に将棋駒づくりが根付いていった。

中島清吉商店の創業も、その流れの中にある。
初代・為三郎が将棋駒づくりを始めたのが、明治13年。
当時は将棋ブームと呼べるものはなかったが、庶民の間で将棋は親しまれており、「作れば売れる」だけの需要が確かに存在していた。

将棋駒は「木の文化」を象徴する工芸

将棋駒の価値を大きく左右するのが、素材だ。将棋駒の原材料は、驚くほどシンプルである。木と漆。それ以外の材料は、基本的に使われない。

将棋駒という形が確立したのは1500年代とされているが、それ以降、その本質はほとんど変わっていない。
駒は単に五角形であればよいのではなく、木目や木肌、さらには色や艶、一枚一枚の重さに至るまで、きわめて繊細な感覚が求められる。

40枚が一組となる将棋駒において、わずかな違いは全体の調和を崩してしまう。
だからこそ、素材の個体差を見極め、揃えるという工程そのものが、将棋駒づくりの核となっている。

中島清吉商店が最高級品に用いるのが、御蔵島産の本ツゲ(伊豆諸島・御蔵島で採れる国産ツゲ)である。
本ツゲの特徴は、きめ細かな木目と、使うほどに増していく艶だ。
切り出したばかりの状態でも、すでにしっとりとした光沢を持ち、触れた瞬間に違いがわかるという。