

仲嶺 幹(なかみね みき)沖縄県三線製作事業協同組合 事務局長。仲嶺三味線店代表。1976年、沖縄県浦添市生まれ。
1995年より父の営む仲嶺三味線店にて三線製作の道に入り、2000年に叔父の店を継ぐ。2008年、沖縄三線技能展にて審査員特別賞を受賞。
2015年から沖縄県立博物館・美術館による「琉球王国文化遺産集積・再興事業」において三線の模造復元製作に携わる。
現在は三線職人としての活動に加え、三線文化の継承と発展を目 的とした組織連携や研究事業にも取り組んでいる。
仲嶺さんが本格的に三線職人の道を歩み始めたのは19歳の頃である。父もまた三線職人であり、幼少期から工房の手伝いをしていた彼にとって、その世界は身近なものであった。しかし、日当制のアルバイトから月給制の職人へと立場が変わった瞬間、プロフェッショナルとしての壁が立ちはだかる。
三線製作の最初の工程である「木取り(きどり)」は、原木から棹となる角材を切り出す作業だ。木の繊維や節の位置を見極め、反りやねじれが生じないよう最適な部位を選定する必要がある。一つの丸太からどのように部材を取るか、そのパズルには無数の解が存在し、判断を誤れば原料である貴重な黒檀が無駄になる。
若き日の仲嶺さんは、父の作業スピードと精度の高さに圧倒された。父が20分から30分で仕上げる棹の削り出しに、彼は8時間以上を費やしてもなお、納得のいく形状にはならなかった。「丁寧に」を意識するあまり削りすぎてしまい、失敗を重ねる日々。会社組織であれば明らかな赤字社員であるという現実に、深い悔しさを味わったという。
技術の差を埋めるため、3日間仕事を休み、父の作業台の横にひざまずき、その手元をひたすら観察し続けた。ノミの角度、力の入れ方、工程の順序。すべてをノートに記録し、図解し、疑問点をその場で問いかけた。この徹底した探究心と、暗黙知を「伝えられる知」へと変換しようとする姿勢は、後のデータを取り入れた改革の原点と なっている。
