120年の伝統を未来へ紡ぐ——「奥順」が見つめる結城紬の現在地
2025.11.19
120年の伝統を未来へ紡ぐ——「奥順」が見つめる結城紬の現在地
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茨城県結城市を中心に生産される絹織物、結城紬。「日本三大紬」の一つとして知られるこの織物の産地で、シェアの半数以上を担うのが奥順株式会社だ。時代の潮流とは逆行する「時間をかける」ことの価値と、緻密な職人の手仕事を取材した。
PROFILE|プロフィール
奥澤 順之(おくざわ よりゆき)
奥澤 順之(おくざわ よりゆき)

1982年生まれ。英国留学を経て大学を卒業後、食器メーカーや呉服店で商品開発・営業等に従事。2011年奥順株式会社に入社。現在は代表取締役社長。

明治創業、奥順が守り続ける結城紬の魂

奥順の歴史は、明治40年に奥澤さんの曾祖父が創業したことに始まる。もともとは教育者の家系だったが、商売への情熱から親戚の呉服問屋で修業を積み、のれん分けの形で独立したという。

「本当に商売が好きだった人みたいで。体が不自由になってもできるだけ店の前に立ち、生産者である機屋さん(はたやさん)と話すのが好きだったと聞いています。元気になったら何がしたいかと聞かれたときも、やっぱり商売がしたいと答えたそうです」

創業者の商売への情熱は、生産者との対話を重んじる姿勢に表れている。この精神は、生産工程が細かく分業化され、多くの職人との連携が欠かせない結城紬の産地問屋としての礎を築いた。デザインの考案から職人への発注、そして完成品の販売までを一手に担う奥順の役割は、単なる商取引にとどまらず、産地の生産活動そのものを支える重要な機能を持っている。

奥順外観:国の登録有形文化財
奥順外観:国の登録有形文化財
染織資料館「手緒里」では、本��場結城紬の歴史資料や当時の着物が展示されている
染織資料館「手緒里」では、本場結城紬の歴史資料や当時の着物が展示されている

時代の荒波を越えた、歴史的な2つの転換点

120年を超える歴史の中で、会社と産地は幾度となく大きな転機に直面してきた。その一つが第2次大戦期に国の政策により贅沢品の生産が禁止され、結城紬の生産自体がほとんどストップした。しかし、数軒の機屋さんが技術保存のため、生産の継続を願い入れ、作り続けることができたという。

もう一つの大きな転換点は、近代化に伴う男性の着物離れだった。

「明治維新後、西洋化が進むなかで、男性が次々と着物を脱いでしまいました。当時は兜町の証券取引所には、和服では入れなかったという時代でした。結城紬はもともと無地や縞、格子といった男物をメインで作っていたので、その時に女性ものへと大きく舵を切った歴史があります」

時代の変化に対応し、産地は危機を乗り越えた。この柔軟な判断は、伝統を守りながらも変化を恐れない奥順の姿勢を代弁している。