祈りの灯りを、次の時代へ:八女提灯・シラキ工芸
2026.04.08
祈りの灯りを、次の時代へ:八女提灯・シラキ工芸
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福岡県八女市で受け継がれてきた八女提灯。祖先を迎える祈りの灯りとして、日本人の暮らしに寄り添ってきた伝統工芸だ。需要の縮小という現実のなかで、2代目は若い職人に場を託し、新しい灯りの形を模索している。祈りの灯を守りながら進化する、シラキ工芸の現在を追った。
PROFILE|プロフィール
入江 朋臣(いりえ ともおみ)

有限会社 シラキ工芸 代表

祈りの灯り、八女提灯という文化

八女提灯の起源は江戸時代にさかのぼる。竹を螺旋状に巻いて骨をつくり、和紙を張り、そこに絵を描く。内部の光が透けることで、絵はわずかに陰影を帯び、立体的に浮かび上がる。

中心となるのは「火袋(ひぶくろ)」と呼ばれる部分だ。単なる覆いではない。光と絵を重ね合わせ、目に見えないものを感じさせるための装置である。

盆提灯は、祖先の霊を迎えるための灯りとして、日本の家庭に置かれてきた。玄関や仏壇のそばに吊し、帰ってくる魂の目印とする。そこには、亡き人への感謝と敬意が宿っている。

「日本人の感謝する心を表すものだと思っています」

そう語るのは、シラキ工芸2代目の入江氏だ。

電気が普及し、生活様式が変わっても、祈りの灯りの意味が消えることはない。提灯は照明器具である以前に、心を整える光なのだ。

農業から転身、2代目の覚悟

入江氏の原点は、提灯ではなく農業にあった。父は提灯屋に勤めていたが、「継げ」と言われたことはないという。

25歳で家業を引き継いだ理由を問うと、少し照れたように笑う。

「儲かっていそうだったからですよ」

冗談めかした言葉の裏には、覚悟がある。

30年前は、つくれば売れる時代だった。しかし、住宅は小さくなり、仏壇もコンパクト化し、盆提灯の需要は徐々に減少する。かつて150人いた外注職人は、20人ほどにまで減った。

分業に頼るだけでは、新しい挑戦はできない。

30代になった入江氏は、内製化に踏み切る。工房を建て、若い人材を雇い、「好きに使ってください」と場を託した。

それは大胆な賭けだった。だが、伝統を守るためには、まず変わらなければならなかった。