山形から世界へ──オリエンタルカーペットが描く“山形緞通”ブランディングの軌跡
2025.11.27
山形から世界へ──オリエンタルカーペットが描く“山形緞通”ブランディングの軌跡
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皇居「春秋の間」や歌舞伎座のロビー、国内外の名建築に敷かれてきたじゅうたん。それらを手がけるのが、山形県山辺町に本社を構えるオリエンタルカーペットだ。創業から90年、手織りの技を守りながら、工業デザイナー・奥山清行氏や建築家・隈研吾氏らとのコラボレーションで「山形緞通(やまがただんつう)」という新たなブランドを生み出した。
「伝統工芸という言葉に甘えたくない」。そう語る渡辺博明社長に、ものづくりへの哲学と次の100年への展望を聞いた。
PROFILE|プロフィール
渡辺 博明(わたなべ ひろあき)
渡辺 博明(わたなべ ひろあき)

オリエンタルカーペット株式会社 代表取締役社長

青山学院大文学部英米文学科卒。地元テレビ局を経て1991年にオリエンタルカーペットに入社。企画部長、総務部長、常務を経て2000年に専務に就任し、06年から社長を務める。

すべては、女性たちの働く場所をつくることから始まった

「この会社は1935年に創業しました。この山形の小さな町に、中国から7人の職人を招いたのが始まりです。当時は不況と凶作で、女性の働く場所をつくりたいという先代の思いから立ち上げました」

渡辺社長は、築80年を超える木造社屋を見上げながら語る。淡いピンク色の外壁は「女性の仕事場の象徴」でもあるという。この建物は登録有形文化財に指定され、今も現役の工房として稼働している。

戦時中は羊毛が手に入らず、創業者が葛の根を糸にして織りを再開。戦後はGHQやマッカーサー夫人が訪れ、皇居やバチカン宮殿にも納入した。「踏まれる芸術」としてのじゅうたん──その哲学は、創業当時から変わらない。

画像キャプション:地元で暮らす女性たちが、織り手として活躍
画像キャプション:地元で暮らす女性たちが、織り手として活躍