江戸時代、磁器は一部の特権階級だけが手にできる高級品でした。その常識を根底から変え、日本の食文化に大きな影響を与えたのが、波佐見焼の「くらわんか碗」です。この器の登場は、磁器が一般庶民の台所へともたらされる「日用食器の民主化」とも呼べる現象を引き起こしました。
くらわんか碗は、厚手で丈夫、そして手頃な価格が特徴です。呉須(ごす)と呼ばれる藍色の顔料で、唐草模様や五弁花といった簡素な文様が素早く描かれていて、その名は、大坂の淀川で「酒くらわんか、餅くらわんか」と声をかけながら飲食物を売っていた小舟で使われたことに由来します。人々が気軽に使い、時には川に捨てられるほど、まさしく日用品としての器でした。この事実は、全国の江戸時代の遺跡から大量のくらわんか碗が出土していることからも、考古学的に裏付けられています。
この時代、波佐見焼に求められた価値は、第一に「機能的実用性」でした。美しさや芸術性よりも、誰もが気兼ねなく使える丈夫さと価格の安さが最も重要視されたのです。波佐見の地は、この需要に応えるための一大生産地となり、江戸後期には染付磁器の生産量で日本一を誇るまでに成長しました。一方で、同じ波佐見の地で生産されていた「コンプラ瓶」は、日本の醤油や酒を海外へ輸出するための頑丈な磁器瓶でした。オランダ側の要求に応じた設計で、オランダ東インド会社を通じて東南アジアやヨーロッパへ輸出されていました。国内市場向けの安価なくらわんか碗と、海外市場向けの機能的なコンプラ瓶、この2つの製品ラインは、波佐見焼が早くから多様な市場のニーズに適応する能力を持っていたことを示しています。