芸能人やインフルエンサーが高級時計を身につけ、ハイブランドの服をまとっている姿に憧れを持つ人も多いだろう。いつかは同じものを手に入れたいと思ったことは、一度だけではないはずだ。
だが、冷静に考えてほしい。自分が持っている時計と高級時計を比べたとき、刻む時間の速さが異なるだろうか。服も同じで、ブランドのタグを取ってしまえばハイブランドとわからないのではないか。
しかし、それでも私たちがラグジュアリー・ブランドに憧れを持ってしまうのは、なぜなのか。
今回、大阪大学のピエール=イヴ・ドンゼ教授に、ラグジュアリー産業のマーケティング戦略やその魅力について伺った。
大阪大学大学院経済学研究科教授。
スイス生まれ、ヌーシャテル大学人文学部卒業、同学にてPhD in human sciences (history)。京都大学白眉センター特定准教授ほかを経て、2015年大阪大学大学院経済学研究科准教授、2016年より現職。専門はグローバル経営史であり、時計産業、ラグジュアリー、ファッションなどについて多数の論文と書籍。最新出版は『ラグジュアリー産業―急成長の秘密―』(有斐閣、2022年)。HP:https://sites.google.com/view/donze/home
私は経営史を研究しており、企業の活動を50年100年といった長期的なスパンで分析しています。
ラグジュアリー産業を専門にしており、ブランドを運営する企業はどういう組織なのか、どのように企業はグローバル化していくのか、その企業のブランド・ポートフォリオがどうなっているのか、などに焦点を当てています。
最初の研究は、スウォッチ・グループについてでした。低価格なものから高級時計のブレゲまで、さまざまなブランドを揃えている企業ですが、多くのブランドを持つことにどういう利点があるのかが非常に気になったのです。
その成果は、『「機械式時計」という名のラグジュアリー戦略』(世界文化社、2014年)にまとめています。
最近は、時計以外にもアクセサリーやファッションの研究に力を入れています。
産業を定義する場合、一般的には商品や製品によって定義できます。たとえば自動車産業なら、製造にしても販売にしても「自動車」が中心にありますよね。
では、ラグジュアリー産業はどうでしょう。特定の商品を想像することは難しいと思います。なぜなら、「ラグジュアリー」は商品や製品によって定義できるわけではないからです。そこで「マーケティング・セグメント」として理解する必要があります。
そうすると、すべての産業に最高級の商品を扱うセグメントがあることに気づきます。たとえば、トヨタのレクサス、SEIKOのグランドセイコーなどが挙げられます。これらは同じ企業の商品のなかでも、別ブランドとして区別されます。
そうした各産業の高級商品を合わせて、「ラグジュアリー産業」と呼んでいます。
高級だからラグジュアリーであるとは、一概には言えません。それはブランド戦略からも明らかです。
ブランドの価値を高めるためには、3つのマーケティングがあると言われています。それぞれ「ファッション」「プレミアム」「ラグジュアリー」です。
「ファッション」はデザインやモデルの循環が速く、それが魅力の1つになります。常に最新のものがほしいという刺激を掻き立てるわけです。
また「プレミアム」は高価なものが多いですが、それには明確な理由があります。特別な素材を使っていたり、素晴らしいエンジニアリングがあったり、十分なオプションが設定されていたりします。
それに対して「ラグジュアリー」は、言ってしまえば「夢づくり」です。商品のデザインに変化があるわけでもなく、また高価な理由も合理的に説明することができません。それにも関わらず、「この商品がほしい」「いつか買いたい」という思いを起こさせるのです。
そのため、単に高級というだけでなく、それを所有した自分を想像するなどの夢を見させてくれる商品。それがラグジュアリー商品となります。
ラグジュアリー商品を手に入れることは、「社会的ステータスを手にする」ことと同義になります。社会のなかで、「自分は特別だ」と他人と区別される記号になる。それがラグジュアリー商品の魅力ですし、企業もそうしたイメージ戦略を打ち出しています。
とはいえ、大きなビジネスを展開すると考えたときに、お金持ちの人だけを相手にしていては成り立ちません。中間層にもアプローチする必要が出てきます。
そのときにも、「夢」が重要な役割を担っています。多くの人が、ラグジュアリー商品に憧れ、それを所有する人に羨望の眼差しを向けます。自分も同じブランドのものを身につけたいと思うようになるでしょう。
ですから、同ブランドでも比較的安価に購入できるアクセサリーや化粧品の拡充が重要になってきます。夢づくりとマスマーケットという2つの軸が、ラグジュアリー産業の根底にあります。
ヨーロッパの文化帝国主義の影響が強いと思います。たとえば、世界中の人が洋服を着ていますが、わざわざ「洋」という必要がないくらい広まっています。
これが日本の着物や中国の伝統的な服だったら「エスニック」と称されるわけですから、アジア固有の文化というイメージから抜け出すことは難しくなります。
つまり、西洋の文化がグローバル・スタンダードになってしまったわけです。文化帝国主義と言うとネガティブな見方かもしれませんが、やはり世界中の多くの人がヨーロッパに良いイメージを持っているんですね。
のんびりした時間の流れや風景、食欲をそそる料理など、これらは映画などで作られたイメージかもしれませんが、ヨーロッパの文化に憧れがあるのです。
最初からグローバル市場を狙ったブランド戦略を練ることです。これまでの日本のブランドは国内での成長を優先し、その後に海外進出を計画していきました。そのため、国内外で別々のブランド戦略を取ることになってしまったのです。
ですが、世界的に成功しているシャネルやディオールを見ると、フランス国内とグローバル市場で区別はしていません。それは一貫したブランド・イメージを持っているからですね。
ここで重要なキーワードとして、「ヘリテージ」を挙げておきます。ブランドの理念とそれを反映した商品を支える物語のことです。顧客にどういうメッセージを発信したいのかを明確にしなければなりません。これがさきほどの「夢づくり」に繋がっていくのです。
ここに日本と世界の認識の違いが見えてきます。
日本では、素材の希少性や職人の技術力の高さなど、商品の質の高さをアピールしますが、世界市場は完璧なものを求めているわけではありません。
たとえば、ディオールの商品を買う人は、質の高い服を手に入れたいと考えているわけではないのです。むしろ、クリスチャン・ディオールやジョン・ガリアーノといったデザイナーたちが展開する「ファッションにおける近代アート」というイメージを買うのです。それがディオールのメッセージなのです。
私はISSEY MIYAKEに注目しています。グローバル市場としては小さいですが、本物のラグジュアリー・ブランドだと思います。
自分たちのアイデンティティに基づいて商品開発をし、店舗の演出を行っています。また、日本の文化も感じられるデザインになっています。カラフルな色使いや独特のプリーツなど、明らかに欧米のデザインとは異なると思います。
問題は、中小企業ということですね。これは日本の問題だけではなく、イタリアも同じ状況にあります。グローバル市場で活躍するためには、資本のマネージメントが重要になってきます。
そのため、イタリアの多くのブランドはコングロマリットに買収されていきます。大企業ならばお金もありロジスティックも持っているわけですから、十分に世界で戦うことができるのです。
これまで多くのブランドが、ファストファッションとコラボしてきました。ユニクロのイネス・ド・ラ・フレサンジュやH&Mのカール・ラガーフェルドのコレクション、スウォッチとオメガのムーン・スウォッチなどは有名なものです。
これらは安価な価格帯のブランドを助ける意味合いが強いものです。安価な商品は競争が激しいので、ブランド名が付加価値となって売上に貢献します。
ところが、ラグジュアリー産業がファストファッションとコラボした話は聞きません。なぜなら確固たるヘリテージに基づいてブランドを経営しているため、そこに反する行動はしないからです。簡単には手が届かないという「夢」が崩れてしまいますからね。
ですから、ファストファッションが人気を博し、グローバルに事業を展開しようとも、ラグジュアリー産業はまったく異なる次元でブランド戦略を発揮しているため、経営が脅かされることもないでしょう。
若者を取り巻く社会が大きく変わりました。いわゆるZ世代はネットやSNSの世界に没頭し、歴史や伝統に興味がなくなったとも言われています。
そのため、90年代にラグジュアリー産業が創り上げたメッセージは、もはや心に響かないのです。若い世代に向けて、新たなメッセージを発信していく必要があります。
その一貫として、ラグジュアリー産業の中心にあったヨーロッパの文化帝国主義のイメージから脱却しようという運動が起こっています。
たとえば、ルイ・ヴィトンがヴァージル・アブローと契約しました。黒人デザイナーを起用することで、フランスの白人イメージを破壊して、我々はグローバルだということを主張していきます。良いデザイナーがいれば、国籍や人種を問わず、起用していくというスタイルが定着しつつあります。そのことは、ファッション誌の表紙を飾るモデルの多様性にも現れています。
そのなかで、日本の若い世代に関しては、少し状況が特殊であると考えています。バブル経済の崩壊以降、経済の停滞が続き、若者の収入は低いままです。消費が落ち込むことにより、かつて「ラグジュアリー商品を所有する」夢を見た若者と違い、憧れは持ちつつも、現実を見る人が多くなったと思います。
ラグジュアリー産業だけでなく、広くファッション研究をしていきたいです。そのなかでも、「ファッション・システム」に注目しています。これはビジネスシステムとして、アパレル企業だけではなく、デザイナーやファッションショー、雑誌、小売業などを含めた総括的な研究になります。
このシステムは国によって異なるので、日本やフランス、アメリカなどと比較研究ができるはずです。そうすれば、なぜ日本のアパレル産業が衰退しているのかが、見えてくると思います。
もう1つは、デザインの経営史です。企業が商品を作るときに、デザインの理念をどのように創出するのか、それをいかにして商品の形に落とし込んでいくのか、そういったところを研究していきたいです。
トップ画像:ルイ・ヴィトン ドーバー ストリート マーケット銀座店(ドンゼ撮影、2022年)