ルビニャックから東京へ(アンドシュ・プローデル)
2025.10.31
ルビニャックから東京へ(アンドシュ・プローデル)
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PROFILE|プロフィール
アンドシュ・プローデル
アンドシュ・プローデル

1950年、フランス・コレーズ県ルビニャック生まれ。農家の家庭に育つ。学生時代にパリへ移り、パリ・ナンテール大学で美学と哲学を学び、博士号を取得。1974〜76年にアフリカ、1978〜82年にメキシコを旅する。帰国後、1991年から15年間ルーブル美術館で講師を務め、額縁や古代文学、世界の陶磁器など多岐にわたるテーマで講義やワークショップを行う。その傍ら画家として活動を開始し、1999年から2017年にかけて毎年、日本とフランスで個展を開催。この間、15代樂吉左衞門や12代戸田博との親交を深める。Instagram

谷田さんとアンドシュさん
谷田さんとアンドシュさん

メキシコで出会った師、谷田章三

1989年、メキシコのサン・ミゲル・デ・アジェンデで活動する日本の陶芸家、谷田章三さんの指導を受けたことがきっかけで、陶芸への情熱を見出しました。

彼は自身を芸術家とは呼ばず、とても謙虚な人でした。住まいは、川西インターチェンジの裏手にある小さな小屋。そんな素朴な暮らしぶりでしたが、私の内に秘めた大きな志をすぐに理解してくれました。ひとたびアイディアを思いつくと、どうすれば実現できるかを調べ、親身になって考え、実現へと導いてくれたのです。

彼が使うのは、決まって白い信楽土でした。あるとき私が赤土を穴窯で試すと、とても満足のいく仕上がりになりました。うれしくなって「先生もいかがですか?」と勧めると、彼はただ笑っていました。

谷田さんは学生たちと分け隔てなく、一緒にパーティをするような人で、楽しむことを大切にする人でした。戦時中に生まれ、大阪で空襲を経験していた彼は、これ以上苦しみに身をさらしたくはないとそう願っていたのかもしれません。

谷田さんに出会い、自分の作品を超えて広い世界を見ようと努める私を、彼は誇りに思ってくれたように感じます。彼が教えてくれたのは、粘土を中心とする世界です。ヨーロッパでは、粘土は常に隠されてきたように思えます(たとえばマヨリカ陶器の白い釉薬のように)。粘土とは大地であり、ありのままの自然です。描くべきものを模索し、満足のいく絵画が描けずにいた私にとって、それは新たな世界の発見でした。