

服と人
HIDE(GRe4N BOYZ)──音楽と古着に導かれた、20年越しの“つながり”
人気ヴィンテージショップ『ベルベルジン』ディレクター・藤原裕さんをホストに迎え、藤原さんとゆかりのあるゲストに登場してもらい、“服と人”との関わりを深く掘り下げていく対談連載。今月のゲストは、HIDE(GRe4N BOYZ)さん。知り合って20年以上の間柄であるふたりにとっての“服と人”とは。
PROFILE
HIDE(ひで)
GRe4N BOYZ
福島県で結成したHIDE、navi、92、SOHの男性4人からなるボーカルグループ。 全員が歯科医師免許を持ち、医療との両立のために顔を伏せて活動中。『愛唄』『キセキ』『遥か』『オレンジ』など、多くのヒット曲を生み出している。
PROFILE
藤原 裕(ふじはら ゆたか)
ベルベルジン・ディレクター
原宿のヴィンテージショップ『ベルベルジン』店長。ヴィンテージデニムマイスターとしても認知されている一方、多くのブランドでデニムをプロデュースするなど、現在のデニム人気を担っている。
第一印象は、かわいい後輩と頼れる先輩
藤原今回のゲストは、僕の全てを知り尽くしているといっても過言ではないHIDEを指名させてもらいました。HIDEと初めて会ったのは1999年頃だったよね。俺が『ベルベルジン』に入って1年目で、あの時は、まさか20年以上経って、こうして対談することになるなんて思ってもいなかったよ。
HIDE光栄です、ありがとうございます。本当によく遊んで飲んでいましたよね。まあそれは今もですけど。あとユッタン(藤原裕さんのニックネーム。以下同)のことに関しては“服と人”どころではなく、ここでは書けないことまで知っていますけど(笑)
藤原まあそこは置いておいて……(笑)。スペシャルコンテンツのテーマが“服と人”ということで、まずHIDEのファッション遍歴から教えてもらおうかな。そういえば京都出身だけど、中高時代は高知の学校に通っていたこと以外は、あまりよく知らないんだよね。
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HIDE確かにそうかもです。ファッションに興味を持ったのは、まさに高知で過ごしていた中学生の頃で、当時は寮に住んでいて地元の帯屋町(おびやまち)にあった『中津商店』に通っていました。
藤原俺もよく行った! 現在の『ジーンズファクトリー』の前身ね。
HIDEそうです。当時はリーバイス501が基本でしたけど、702とかも流行っていて。あとダメージだと、膝のアタリがヴィンテージっぽくなっているのが個人的にはすごく好きで、わざと壁にこすってセルフ加工をしたり。中1くらいかな、あれが僕のスタートです。
藤原俺も同じだわ。中1のときに母親からもらった3,000円を握りしめてブラックジーンズを買いに行って。でも店員さんにすすめられたのがリーバイス501のブラックで、当時6,800円。自分で持っていた貯金を合わせて買って帰ったら母親に超怒られたけど(笑)。
HIDEそりゃそうでしょ(笑)。それからしばらくしてバンドを始めて、ロックやメタル、パンク、ハードコアバンドでギターをやっていましたが、ファッションはなぜかヒップホップがかっこいいなと思っていました。
当時はまだ『リブロード(帯屋町にあった商業ビル2014年に閉館)』があって、そこの地下にあったヒップホップ系のファッションを提案するお店でアルバイトを始めたんです。
ナイキゴルフやギャップを扱っていたり、あと店内には大きな鏡があったから、ダンサーの人が練習しに来たりするようなお店でした。そんな感じでバイトをしながら、ステューシーやナイキのアイテムを買いに行っていました。

藤原音楽はヒップホップを聴いてなかったの?
HIDE最初は全然わからなかったのですが、アメリカのヒップホップグループ、クルーシャル・コンフリクトというアーティストを見て衝撃を受けました。ある日、お店で彼らのミュージックビデオが流れているのを見て、「これがヒップホップか! すごいな」って。
でも、まさか将来自分が歌を歌う側になって、しかもポップスをやるようになるとは夢にも思ってなかったです(笑)。
藤原いやあ、何があるかわからないね(笑)。あれ、俺らが最初に出会ったのは1999年だったよね?
HIDEはい。僕が高知から出てきたばかりで右も左もわからない時期で、原宿の駅前にあった予備校に通っていたときです。予備校の横に小さな洋服屋さんがあって、当時流行っていたグラビスを扱っていたことで僕が通うようになり、そこから店員さんとも仲良くなったんですよね。
予備校には学食があって、そこは一般の人も入れたことから、その店員さんもよく来ていましたよね。

藤原あ、そうだ! 俺もその子と仲が良くて、その流れでお店に遊びに行くようになったんだ。それから学食も紹介してもらって、よく一緒にご飯を食べるようになって……。そこで初めて会ったんだよね。
当時のHIDEに対してはファッションが好きなんだろうなっていう印象。高知という繋がりから親しみが自然と湧いて、“かわいい後輩”みたいな感じだったな。
HIDE僕からしたら“高知の先輩!”って感じでした。あまり高知の人と出会うことがなかったからうれしかったのを覚えています。でもその時はまだ、古着愛は芽生えてなかったんですよね。
高知にいるときに一瞬だけ古着に興味は持ったけどそこまでではなく、あの時は古着よりも、エイプとかグッドイナフが好きでした。
藤原あの頃は裏原全盛期だったからね。
HIDE高知ではまったく売ってなくて……。雑誌でしか見たことがなかったから、上京して一番衝撃を受けたのがエイプやネイバーフッドに初めて行ったときでした。本当に感動しました。でも、だからってユッタンたちと疎遠になったかといえばそうではなく、ユッタンの仲間の皆さんとも当時からすごく仲良くしてもらっていました。
たとえばユッタンがロスへ買い付けに行って日本にいないときでも、他の皆さんと飲みに行ったりして、終電がなくなったらお店の事務所で朝まで時間を潰すみたいな感じでしたしね。
そして朝になったら先輩方は午前中から古着屋さんの仕事に向かうなか、僕はひとりだけオープン前のヘッドポーターに並ぶっていう。だから服の好みが違っただけで、よく遊んでもらっていたっていう感じでした。
二子玉でライブ!? ちょっと遠いな(藤原)
藤原古着に本格的に興味を持ち出したのはいつから?
HIDE当時人気だったクリプトンやモーティブというブランドが古着を元ネタにアイテムを作っていて。そういったブランドのアイテムを手に取っていくなかで、多くのデザイナーが古着を熟知していて、しかもちゃんと好きで作っているということを知って、興味を抱くようになりました。それで最初にユッタンから買ったのが、リーバイス505。

藤原(実物を見ながら)懐かしい! 当時のHIDEのようなヴィンテージ初心者にはまずリーバイス501をすすめていたけど、HIDEは裏原カルチャーが大好きで、当時からシーンのカリスマだった藤原ヒロシさんがリーバイス505を愛用していたから、これしかないって思ったんだよね。
あとダメージの感じも裏原系のスタイルとも相性良さそうだったのと、何よりHIDEの体型的にも505の方が似合うと思って。
HIDEたしか8,000円くらいで譲ってもらったんだと思います。最近はあまり穿いてないですが大事にしています。その後、大学進学のために福島へ引っ越すことになったんです。
週末だけ夜行バスに乗って東京へ遊びに行ったりしましたけど、だんだん福島に愛着が湧いてきて、2年くらいは会えなかったですよね。
藤原その頃、HIDEがバンドを始めたって聞いたんだった。
HIDE2004年くらいかな。福島へ移住して2年目から音楽活動も始めて、徐々に東京でもライブができるようになっていって。あるとき二子玉川でライブを開催することになったからユッタンも誘いましたが、「遠い」って断られました(笑)。

藤原当時飯田橋に住んでいて、二子玉川はなんとなくしか知らなくて調べたら遠かったんだよ(笑)。
HIDEその頃になると僕も古着が大好きになっていましたが、知識がない。だから欲しいものがあると、一応ユッタンに相談していました。
藤原それは今もだけどね(笑)。ちなみに今欲しい古着はあるの?
HIDEかっこいいTシャツとかスウェットですかね〜。
藤原“かっこいい”っていっても、後付けパーカを筆頭に、ヴィンテージ系はほぼ持ってるからそっちではないよね?
HIDEはい。最近集めてるのはミッキーマウスものなんですが、その中でも、イケてないミッキー。南米あたりで手描きになっているやつとかがありますよね? そこら辺の古着にちょっとパンクを感じるといいますか。さらにそういう感じのものって安価で買えるんですよね。
藤原まあ安いけどさ。でもけっこう見つからないだよなあ、HIDEが好きそうな変わり種(笑)。
ユッタンは昔から本当に純粋で、人と人を繋げるのが好き(HIDE)
藤原大学卒業してから、今度は北海道へ引っ越したよね?
HIDE3年間くらい向こうで歯科医として働いていました。そして2017年のGReeeeNの10周年ライブのタイミングで東京に戻りました。今みたいに頻繁に連絡を取るようになったのもこの頃からでしたね。

藤原2007年に『愛唄』がヒットした頃、テレビで見ていて感動したよ。最初50位ぐらいだったのが、どんどん上がって3位に入って。「すげぇ!」って声出たもん(笑)。
SNSがない時代だったから『愛唄』が聞こえてきたときは「これ歌ってるの後輩なんだよ」って、みんなに自慢してさ。そのあと『キセキ』がすぐヒットして。グループがどんどん有名になっていくのは本当にうれしかった。
HIDEうれしいです(笑)。でも、会ったときからずっと関係性は変わらないですよね。ユッタンは昔から本当に純粋。人と人を繋げるのが好きだし、アイテムをすすめてくれるときもまったく他意がない。
その人が本気で“似合うと思ったから”っていう理由だけ。そこは今より偉くなっても変わらないだろなと思います。

藤原人と人を繋げることっていうのは、俺もHIDEに対して思っていて。それはHIDEが紹介してくれる人たちも、“HIDEが紹介する人なら”っていう信頼があるからこそ俺と仲良くしてくれる。
そこは本当にありがたいし、似ているような気がする。出会いの共通点が高知県だから、いつかは高知に貢献できたらいいなって思っていて。
まだまったく白紙の状態だし、それがファッションなのか音楽なのかはわからないけれど、ふたりでというよりも、周りもたくさん巻き込んで、何か大きなイベントができたらいいなとは思っていて。


HIDEいいですねー! 地元の人たちとつながるようなプロジェクト。ぜひ実現させましょう。
そういえばユッタンって、普段ファッションを楽しむうえで独特の“マイルール”がありましたよね? 同じ高知県に縁のある人間として言うと、俺には“休日は古着を着ない”なんて決まりはありませんが……(笑)。
そういえばユッタンって、普段ファッションを楽しむうえで独特の“マイルール”がありましたよね? 同じ高知県に縁のある人間として言うと、俺には“休日は古着を着ない”なんて決まりはありませんが……(笑)。
藤原いや、これには理由があるのよ(笑)。以前、息子のサッカーの送り迎えにいったときに、いつも通り古着を着てアクセサリーもジャラジャラつけてたんだけど、ちょっと奇異な目で見られて。
それからは全身パタゴニアで行くようにしたんだけど、今度は俺がパタゴニアの社員だって保護者の間で噂になって(笑)。そういうことがあってからは“休日のお父さん”っていうテーマにして、なるべくフツーの格好にしてるのよ。
HIDEテーマって! もはやコスプレじゃないですか(笑)。まあ、そういうところもユッタンらしいですね。
──本連載のテーマ“服と人”を象徴するように、ふたりの会話には“繋がり”が溢れていた。古着も音楽も、“誰かと出会い、心を動かす”ための手段……。
高知の少年だったふたりが東京で出会い、それぞれの世界で歩みを重ね、今またこうして語り合う──。彼らの人生そのものが、“服と人”の物語だった。
[1]デニムの表面に見える織りの綾目が右肩上がりになっている生地
Photo by Akinori Kawanishi
Text by Kei Osawa










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