秩父銘仙を未来へ──新啓織物が紡ぐ真摯なものづくり
2025.10.20
秩父銘仙を未来へ──新啓織物が紡ぐ真摯なものづくり
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埼玉県・秩父が誇る秩父銘仙は、大正ロマンや昭和モダンなどを背景に女性たちに愛された絹織物。ほぐし捺染を用いて織り上げられる生地は大胆な模様を特徴とし、当時は気軽なおしゃれ着として絶大な人気を誇った。
新啓織物は、家族で運営する秩父銘仙の工場だ。2代目を継いだ新井教央さんは、織物商社に15年勤め世界中の織物を見たあとに、職人を目指して家業に入った。糸づくりから真摯にこだわる職人が見つめる秩父銘仙の未来とは──。
PROFILE|プロフィール
新井 教央(あらい のりお)
新井 教央(あらい のりお)

1968年生まれ。秩父銘仙・新啓織物の2代目。織物商社で15年勤務したのち、36歳で家業へ入る。独自の糸使いで作られた秩父銘仙は高い評価を得ている。

大正・昭和を彩ったモダンな絹織物、秩父銘仙

新啓織物の創業の経緯をお聞かせください。

新啓織物の創業は1970年。私の父は小学校を出てから織物を作る機屋(はたや)に勤めて、その後独立して織物を作るようになりました。

秩父銘仙は、かつて秩父が誇る一大産業でした。当時の秩父は、地域に暮らしている人の約7割が、糸偏(いとへん)と呼ばれる織物関係で生計を立てていたという織物のまち。西武秩父駅からうちの工場まで歩いてくる間に、聞こえてくる機音がまったく途切れなかったのだと父がよく話してくれました。

秩父銘仙は、どのように生まれたのでしょうか?

もともと、秩父はどこの農家でもお蚕を育てていた養蚕の盛んな地域です。いい繭は現金化するために出荷して、お金にならないくず繭を、農閑期に農家が糸にして織った太織(ふとり)が秩父銘仙の始まりです。江戸時代の中期以降に評判になり、織物産業が盛んになっていきます。

秩父銘仙の代名詞「ほぐし織り」の先駆けとなる技術が考案されたのは1908年。秩父の隣町に住む坂本宗太郎氏が「ほぐし捺染」(型染め)の特許を一部取得したことにより、技術革新が進みました。その後の開発で、それまでの無地や縞格子柄から、大胆な先染めの模様をあしらった秩父銘仙を作れるようになったのです。