1968年生まれ。秩父銘仙・新啓織物の2代目。織物商社で15年勤務したのち、36歳で家業へ入る。独自の糸使いで作られた秩父銘仙は高い評価を得ている。
新啓織物の創業は1970年。私の父は小学校を出てから織物を作る機屋(はたや)に勤めて、その後独立して織物を作るようになりました。
秩父銘仙は、かつて秩父が誇る一大産業でした。当時の秩父は、地域に暮らしている人の約7割が、糸偏(いとへん)と呼ばれる織物関係で生計を立てていたという織物のまち。西武秩父駅からうちの工場まで歩いてくる間に、聞こえてくる機音がまったく途切れなかったのだと父がよく話してくれました。
もともと、秩父はどこの農家 でもお蚕を育てていた養蚕の盛んな地域です。いい繭は現金化するために出荷して、お金にならないくず繭を、農閑期に農家が糸にして織った太織(ふとり)が秩父銘仙の始まりです。江戸時代の中期以降に評判になり、織物産業が盛んになっていきます。
秩父銘仙の代名詞「ほぐし織り」の先駆けとなる技術が考案されたのは1908年。秩父の隣町に住む坂本宗太郎氏が「ほぐし捺染」(型染め)の特許を一部取得したことにより、技術革新が進みました。その後の開発で、それまでの無地や縞格子柄から、大胆な先染めの模様をあしらった秩父銘仙を作れるようになったのです。