島の自然や風土を表現�した色鮮やかな絣織物「八重山みんさー織」とは:株式会社あざみ屋
2024.10.22
島の自然や風土を表現した色鮮やかな絣織物「八重山みんさー織」とは:株式会社あざみ屋
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透き通るような青い海と緑豊かな木々が広がる沖縄県石垣市。観光地として有名だが、この地の伝統工芸品「八重山みんさー織」にもぜひ注目してほしい。
八重山みんさー織は、石垣市や竹富町(沖縄県八重山郡)で作られる絣織物で、5つと4つの絣模様が交互に配置されている。昔は藍一色の帯であったものが、現在では産地の豊かな自然を思わせるカラフルで、且つ色のバリエーションが豊富になっている。
株式会社あざみ屋」は、ものづくり以外の活動にも積極的に取り組みながら、50年以上にわたって八重山みんさー織の歴史をつなぐ。今回は、八重山みんさー織の特徴のほか、同社のあゆみや取り組みなどについて話を伺った。
PROFILE|プロフィール
新 賢次(あら けんじ)
新 賢次(あら けんじ)

昭和33年4月2日生
【学歴】
昭和58年3月 沖縄大学法経学部経済学科卒業
【職歴】
昭和59年4月 有会社あざみ屋入社
平成6年7月 株式会社八重山ゲンキ乳業代表取締役社長就任
平成12年7月 株式会社あざみ屋代表取締役社長就任
現在に至る

創業のきっかけは、織物が売れなかったこと

改めて、八重山みんさー織について教えてください。
八重山みんさー織は、木綿糸を染めて平織りにした絣織物です。石垣市と竹富町で織られており、1989年に国の伝統的工芸品に指定され、「八重山ミンサー」との表記[1]になりました。

沖縄にはいろいろな染織物がありますが、八重山みんさー織は5つと4つの絣柄が特徴であり、赤や青などの南国の色合いも取り入れて作られています。

この5つと4つの絣柄に「いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く」という想いを込めて、昔は婚約の証として女性から男性へ贈ったといわれています。

御社はいつから八重山みんさー織に携わられているのでしょうか。
弊社は、1971年に私の両親が創業しました。沖縄の施政権が日本に返還される前年です。“沖縄返還を機にいろいろなビジネスが島に入ってきて変化が起きるだろうから、自分たちがやってきた織物を産業にしよう”と考えて立ち上げたと聞いています。

予想通り沖縄返還を機に観光客がどんどん増えて、その人たちに提供できる商品としてお土産品をメインに作り、そのニーズを捉えることができました。
また当時は、新婚の観光旅行が多かったために、“いつの世までも”という八重山みんさー織の謳い文句が新婚旅行のお土産としてぴったりと当てはまって、特に売れた商品となったようです。

私が入社したのは、ちょうどそのブームが落ち着いた頃でした。
パリコレクションの作品
パリコレクションの作品
ご両親は、創業する前から織物をされていたのでしょうか。
もともとは服やアクセサリーを仕入れて販売する「あざみ洋裁店」を営んでいたんです。そのときに、竹富島でミンサー帯の織り手をしていた人から「私たちが作った帯を売ってくれないか」と頼まれたそうです。

両親ともに竹富町の出身なのでみんさー織を知っていました。引き受けたものの当時は帯としてはなかなか売れなかった訳ですが、その出来事をきっかけに改めて魅力を感じ、事業化を考えるようになったそうです。

「伝統ある織物をどうにか売れるようにしたい」「世の中に送り出したい」と考えた事が創業のきっかけになった訳です。

ものづくりにおける、御社ならではの強みを教えてください。
伝統的な織物として伝わってきた帯を帯としての用途にとどめることをせず、日常の場でも使えるものづくりを目指し、丈夫な素材を生かして小物づくりをしました。この点は創業から育ってきた加工品製作技術が弊社の強みのひとつだと思っています。

インテリア類やファッション類も主力製品で、中でもシャツは看板商品になっていて、沖縄の夏のウエアとして多くの方にご愛用いただいています。

また、ご縁があり、2005年にはパリコレクションの作品制作もしました。残念ながら発注はありませんでしたが、作品はご好評いただきましたし、その後の私たちのファッションの取り組みの推進力にもなり、いい経験になりましたね。
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