創業のきっかけは、織物が売れなかったこと
改めて、八重山みんさー織について教えてください。
八重山みんさー織は、木綿糸を染めて平織りにした絣織物です。石垣市と竹富町で織られており、1989年に国の伝統的工芸品に指定され、「八重山ミンサー」との表記[1]になりました。
沖縄にはいろいろな染織物がありますが、八重山みんさー織は5つと4つの絣柄が特徴であり、赤や青などの南国の色合いも取り入れて作られています。
この5つと4つの絣柄に「いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く」という想いを込めて、昔は婚約の証として女性から男性へ贈ったといわれています。
御社はいつから八重山みんさー織に携わられているのでしょうか。
弊社は、1971年に私の両親が創業しました。沖縄の施政権が日本に返還される前年です。“沖縄返還を機にいろいろなビジネスが島に入ってきて変化が起きるだろうから、自分たちがやってきた織物を産業にしよう”と考えて立ち上げたと聞いています。
予想通り沖縄返還を機に観光客がどんどん増えて、その人たちに提供できる商品としてお土産品をメインに作り、そのニーズを捉えることができました。
また当時は、新婚の観光旅行が多かったために、“いつの世までも”という八重山みんさー織の謳い文句が新婚旅行のお土産としてぴったりと当てはまって、特に売れた商品となったようです。
私が入社したのは、ちょうどそのブームが落ち着いた頃でした。