籐工芸の未来を編む──暮らしを彩るラタン家具の新潮流
2025.06.30
籐工芸の未来を編む──暮らしを彩るラタン家具の新潮流
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PROFILE|プロフィール
木内 秀樹(きうち ひでき)
木内 秀樹(きうち ひでき)

1974年生まれ。木内籐材工業株式会社の3代目。2017年 「籐と和紙のうちわ」で、東京手仕事プロジェクト都知事賞受賞。籐工芸の伝統技術を生かした新しい商品開発に挑み続ける。

通気性・軽さ・美しい艶──自然素材・籐(ラタン)を用いた家具や雑貨が、再び注目を集めている。木内籐材工業株式会社は、東京・文京区で、1931年から3代にわたり籐製品の製造、卸売業を手がけている。
3代目の木内秀樹さんは、自ら海外に出向くほどの素材へのこだわりと、培ってきた伝統技術を生かして、若者・海外向けに愛されるこれからの籐工芸を模索し続けている。

古くから愛され続けてきた籐工芸を現代へ

籐工芸の歴史を教えてください。
籐(とう)は、熱帯雨林のジャングルでゴムの木などに絡みついて育つツル性の植物で、籐工芸は、敷物や椅子などの家具、籠や鞄などを作ります。

歴史は古く、紀元前4000年頃のエジプトのレリーフに籐の椅子が描かれています。さらに、大航海時代のヨーロッパで、東南アジアのラタンの家具が大流行しました。

日本にやってきたのは約1,000年以上前。弓やなぎなたなど、武器の持ち手に巻かれました。

御社は何年頃から事業をはじめたのでしょうか?
昭和6年創業、私で3代目になります。初代が上京したことをきっかけに事業をはじめました。最初は原料を加工して、皮籐・丸芯などの販売を行っていたようです。

バブルの時代には、温泉やゴルフ場の脱衣場の敷物などの人気が高かった。しかし、時代の変化と共に需要が減り、30年ほど前からは、籐家具の制作・販売も手がけています。

木内さんが家業を継がれることとなった経緯をお聞かせください。
学生のときから家業を手伝っていて「いずれ事業を継ぐのだろうな」と思っていたので、自然と会社に入り込んでいきましたね。

その頃はバブルで、たくさんの職人が工場で籐の敷物を作っていました。私は一度サラリーマンとして就職したのですが、高齢化や廃業を選ぶ職人の姿を見て、本格的に家業を継ぐことを決心しました。
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