京都の手染め工房・馬場染工場が描く「伝統産業の次の100年」
2025.12.05
京都の手染め工房・馬場染工場が描く「伝統産業の次の100年」
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創業1913年。京都・伏見の町工場で、今も手染めのシルクスクリーンを続ける馬場染工場。4代目・馬場憲生さんは、和装から洋装、そして風呂敷やノベルティまで多彩な染色を手がける職人であり経営者でもある。
分業の町・京都で生まれ育ち、戦前から続く歴史ある建物を文化財登録しながら、同時に海外展開やワークショップの開催など、積極的に事業を進めている。「伝統」を守るだけでなく、「産業」として生かし続けるために、馬場憲生さんがどのような選択をしてきたのかを聞いた。
PROFILE|プロフィール
馬場 憲生(ばんば のりお)

有限会社 馬場染工場 代表取締役社長

創業110年、京都に根づく分業の知恵

創業から現在まで、馬場染工場はどのような歩みをしてきたのでしょうか。

創業は1913年、大正2年です。もともと滋賀の農家から、丁稚奉公として京都に出てきた曾祖父が始めました。当時の京都は着物の染色が中心で、分業の町でした。生地を作る人、型を彫る人、蒸す人、洗う人、整理する人——すべてが専門職として分かれていたんです。

うちはその中でも「型友禅」と呼ばれる分野で、シルクやちりめんの染色を担ってきました。

今も染め・蒸し・水洗い・仕上げをそれぞれ別工房で行う分業制ですが、少量多品種の時代にはむしろ柔軟に対応できる利点があります。

京都の分業制は一見すると手間がかかるようにも思えますが、実際には長く続く仕組みとしての強みがありますね。

そうですね。一貫生産の大工場ではロットが大きくないと回りませんが、分業なら小回りが利く。今の時代、同じ柄を何千枚も染める仕事は減り、百貨店やブランドの限定品など、数百単位の受注が主流です。むしろ、職人同士が信頼でつながるネットワークこそ、京都の染め文化の基盤だと思っています。

110年続く木造合掌造りの工場
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