べっ甲製品の製造・販売のどちらも担うのは、3社のみ
まず、御社について教えてください。
佳美 安龍工房は、私の父である安田龍夫が1969年に創業しました。父はいろいろなアイディアがすぐ浮かぶ人で、常に挑戦を続けてべっ甲業界に新しい風を吹き込んできました。
しかし、独自に発明した技術でも特許を取ろうとはしなかったんです。「長崎ではべっ甲を発展させることが重要だから、独占するのはよくない」という考えだったようです。「べっ甲製品が広まれば、長崎の観光業も盛り上がる。それでいいんだ」と言っていましたね。
弊社はほぼ100%に近い状態でべっ甲製品の製造だけをしていたのですが、現在は自社でインターネット販売も始めたので、今後は少しずつ販売の割合も増えていくのではないかと思っています。また、長崎空港では複数の会社と合同でブースを出して商品の販売を行っています。
父の代から変わらないデザインの商品もあれば、今風のデザインにリメイクして販売している商品もありますよ。
慎二さんは、いつから製造に携わられているのでしょうか。
慎二 18年前からです。べっ甲製品の製造の手伝いから始めました。義父は1から教えるというよりも、「見て学べ」というスタイルで、ときには周囲の方々が驚くような喧嘩をよくしていましたね。「初代は厳しい人なので、ついていけないんじゃないか」と、心配されていました。
佳美 父は他人には優しいのですが、身内には厳しい人でした。私にも、慎二さんにも厳しかったですね。
慎二 私も自分の考えを貫くほうなので、よく意見していたんです。
当時は商品がよく売れている時期だったので、とにかく数をこなす必要がありました。義父は「安く早く」と考えていたのですが、私は「安くても丁寧に、できるだけ早く」という考え方で。
義父のやり方だと3〜4日で100個商品を完成させられるのですが、私のやり方だと100個作るのに1週間かかる。考え方の違いがあったことで、よく言い合いになっていました。
佳美 今は父が仕事をするのが難しくなってしまったので、私たちが中心となって製造を続けています。