師匠が残した想いを次世代へ──額縁職人・栗原大地の挑戦
2025.09.17
師匠が残した想いを次世代へ──額縁職人・栗原大地の挑戦
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名画を美しく引き立てる、職人の匠の技から生まれる東京額縁。東京・荒川区の額縁工房「富士製額」の栗原大地さんは、サッカー選手を目指し、服飾デザインを学んだのち、回り道の末に天職を見つけた若き職人だ。
額縁職人として生きる覚悟を与えてくれたのは、一人の師匠との出会い。技術を新しい世代に受け継ぐために切磋琢磨し続ける、若き職人の現在地を聞く。
PROFILE|プロフィール
栗原 大地(くりはら だいち)
栗原 大地(くりはら だいち)

1987年東京都生まれ。額縁職人。大学時代に趣味だった近代絵画の鑑賞から額縁に興味を持ち、職人の道へ。大学卒業と共に、富士製額で修業を積み、同工房で職人として働いている。

“何者にもなれない自分”を変えたのは、額縁との出会いだった

額縁職人になる前は、どんな人生を生きていたのでしょう?

さまざまなことに挑戦してきましたが、なかなか形にならなくて。「僕は中途半端な人間だな」というコンプレックスを抱えて生きていました。でもそのことが、額縁を作り出したことで、がっちりとハマったんです。

幼稚園から高校までは、サッカー選手を目指していました。体育教師の親の指導の下、スポーツ推薦で強豪校に入りプロを目指しましたが、叶わなかった。高校3年生のとき「世界は広いのに、なぜ俺はサッカーしかやってこなかったのだろう」と進路に迷ったんです。

それなら好きなことをしようと思い、服飾の専門学校を考えていたら、親から許可が出ず大学を探すことに。でも、美大受験に必要なデッサンの勉強をしてこなかったので、経済学部から転部可能な大学を見つけて、テキスタイルデザインの学部に進みました。

でも、大学に進学しても劣等感がありました。受験して美大に合格したわけではない。服飾専門学校に進学した友人たちもキラキラして見えて、うらやましかった。結局就活も氷河期で求人も見つからず、デザイナーとして就職できませんでした。もう一度、服飾の専門学校に進学しよう、そう思っていたとき、祖父が富士製額の社長とつながりがあり、見学に行くことになったんです。