私たちが前田さんの白磁に対峙するとき、その造形美は作品のほうから語りかけてくるように感じる。心眼と言えばいいのか、目には見えない風景がそこには浮かび上がるのだ。白磁という存在は単なる器ではなく、人々の想像を掻き立てる芸術品であり、それこそが前田さんの狙いでもあった。
「白磁の白さの中には、五彩があると思っています。さらには、色を感じるだけでなく、朝昼晩と差し込む光の変化によってもたらされる陰影から、その時々でさまざまなイメージを喚起させてくれる作品が最高のものだと感じますし、そこに近づくために毎日白磁に向き合っています」
中国の唐の時代から、絵を描くだけが表現ではなく、あえて描かないという技法が確立され、それが高い評価を受けてきた。前田さんは、白い器の造形に余白の美を感じさせ心を豊かにする何かがあるという。
「たとえば、モノクロ-ムの版画や水墨画などで、雪が積もった木々や山道を表現しますよね。描かれない余白が和紙の白さと相まって、雪が積もっているように見えるのが魅力的ですし、その雪の下には、春の訪れを知らせる芽が出てきているだろうなどと想像するのも素晴らしいですね」
余白の美学は、決して絵画に限定されるものではなかった。むしろ白磁の白さが余白そのものであり、そこからは無数のイメージや感情が呼び起こされることに前田さんは気づいていた。