深川で始まり、立て直しのために小樽へ
深川硝子工芸が創業した経緯と、現在に至るまでの歩みを教えてください。
当社が創業したのは、1906年。私の曾祖父の師である井田精が、東京の深川区(現・住吉周辺)に工場を作ったのが始まりです。当時は国からの委託で、塩や薬を貯蔵する瓶などを作っていました。
工場はだんだん大きくなっていったのですが、関東大震災ですべて壊れてしまって。復興はしたものの、瓶は機械でも作れるようになってきていたので、徐々に売れなくなってしまいました。
そのような背景もあり、当社は昭和中期頃から食器の製造にシフトしていきました。最初は業務用コップのような製品だけを作っていたのですが、価格が安いんです。そのため、もうちょっと特別感のあるグラスを作れるようになろうと考え、さまざまな技術を磨いていきました。
高級食器の製造は、平成まで続いていきました。ただ、2003年に東京の工場の老朽化問題が生じて。創業時は工場しかない地域だったのですが、その頃には周りに住宅が増えていたため、同じ場所で工場を建て直すのが難しくなってしまったのです。
そこで、小樽へ移転する話が出ました。きっかけは、昔から付き合いのあった小樽にある北一硝子の社長さんと私の父が話し合いをしたこと。当社が小樽に移転すれば、物理的な距離が近くなるためコミュニケーションが取りやすいですし、製品を輸送するのにも都合がいいということで、移転を決めたそうです。
移転したタイミングで、何か変化したことはありますか?
移転前は40名ほど社員がいましたが、半分ぐらいに縮小しましたね。
ですが、「せっかく工場を建て直すなら」と、父が設備を見直しました。今の工場は、地下タンクにある水を再利用したり、工場を稼働させる際に発生する熱を利用して、冬場の暖房機能として熱を循環させたりできるようになっています。SDGsという言葉が広まる前から、人や地球にやさしい未来を考えながら事業に取り組んできたのです。