福井洋傘が目指す“世界で一番やさしい傘”
2026.02.04
福井洋傘が目指す“世界で一番やさしい傘”
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かつて福井から石川にかけて860社以上が軒を連ねた洋傘産業。現代では唯一の生産拠点となった「福井洋傘」は、ただ産業を残すためではなく、“新しい傘文化”をつくるために日々研究と開発を続けている。天然素材の伝統技術から、カーボンやセラミックスを用いた革新的な構造まで──創業50年の歴史を受け継ぎながら、使い手に寄り添う傘づくりを探求する代表・橋本肇氏に、その思想と未来像を聞いた。
PROFILE|プロフィール
橋本 肇(はしもと はじめ)
橋本 肇(はしもと はじめ)

昭和36年5月25日生まれ。
地元高校を卒業の後、音響家を志して東京の音響学校へ進学。
卒業後に東京で就職、技術を地元で活かすため、地元の企業に就職。
1989年入社、中国のモノ造りの台頭で仕事が減少し、経営難になるも家業を建て直す。
2007年に代表取締役社長に就任。
日本の伝統を残す為に、あえて日本でしか造れない、福井でしか造れない傘を創造し続けている。

洋傘の産地としての福井──860社から“最後の1社”へ

福井洋傘の歴史は、地域の暮らしと深く結びついている。創業は昭和47年。冬になると仕事がなくなる農家の女性たちに内職を生み出すため、洋傘づくりを導入したのが始まりだった。当時、福井・鯖江周辺は繊維産業が盛んで、傘生地の調達にも適した土地柄。こうして地域産業としての傘づくりが根づいた。

しかし時代が変わり、洋傘メーカーの多くは生産拠点を中国へ移す。大量生産・低価格化の波に押され、多くの工場が姿を消した。福井洋傘も例外ではなく、OEMの仕事がすべてなくなる局面に直面する。それでも創業者は、「ゼロになったら復活できない。どこか1社だけでも残らないといけない」と踏みとどまった。

仕事が途絶えた工場に残ったのは、職人が積み上げてきた技術と、地域に根ざしたものづくり精神だった。やがて「品質で勝負するしかない」と覚悟を固め、同社は独自ブランドの傘づくりへと舵を切る。

生地を裁断するために使用する型。傘ごとに使い分けをしている。
生地を裁断するために使用する型。傘ごとに使い分けをしている。