刃物を通して世��界と向き合う:日野浦刃物工房の刃物づくりとは?
2025.01.13
刃物を通して世界と向き合う:日野浦刃物工房の刃物づくりとは?
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鎌に鉈、そして包丁……ここは金物の町として知られる、新潟県燕三条。この地域にはこだわり抜いた刃物づくりをする職人・日野浦陸さんがいる。鍛造(たんぞう)という高温の鉄を叩いて強度を上げる工程にこだわりを持つ日野浦刃物工房で刃物づくりに従事している。
「今が一番楽しいんです」と語る日野浦さん。聞けば海外の展示会に何度も出展しており、また若い職人と協力して仕事をしているという。こだわり抜いた刃物を製造している、日野浦刃物工房の日野浦さんに、新潟の伝統的工芸品である越後三条打刃物の歴史やそれに込めた想い、これからについてインタビューしてきた。
PROFILE|プロフィール
日野浦 陸(ひのうら むつみ)

昭和56年生まれの日野浦睦は工業短期大学卒業後、家業の鍛冶の道に進む。現在は「味方屋」を任され、伝統技法「鍛接」を用いた高品質な刃物や、自由鍛造で特殊鉈を製作。包丁やデザイナー・アニメとのコラボ製品にも取り組み、日本の技術を海外へ発信している。さらに、工場の魅力向上や若手育成にも力を入れ、司ブランドの継承に向けて技術を磨いている。

水害との闘いから始まった「かなものの町」燕三条

最初に「かなものの町」と呼ばれる燕三条について、その理由を教えてください。
昔、この辺りは水害がとても多い地域でした。水害が起こると農家はダメになってしまいます。この事態に対応するため農家の人々は、農業以外の仕事として釘をつくったんです。そこから鍛冶屋さんが始まっていったといわれています。

ここまでなら大阪での包丁や高知の鉈など他の産地と同じですが、燕三条には問屋さんが多かったのです。そのため東京や大阪で何が売れているかの情報が入ってきやすく、問屋さんからの要望に応えていくうちにいろいろなものをつくる鍛冶屋さんが増えていきました。

ここ当社も、林業関係の刃物、包丁とさまざまなものをつくっています。

工房の数は現在どのくらいあるのでしょう?
このエリアだと30いかないくらいでしょうか。昔はもっと多くの職人が活動していて、包丁屋さんだけでも薄いものだったり厚いものだったりと、それぞれ専門にしていた工房があったんです。

今は後継者不足で工房は減ってきていますね。

昔と違って、社会的に労働環境が変わってきていますし、汚れが多い業種でもあるので、新しい人が入ってこなくなったのが現状です。
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