東京出身の保育士から、伝統工芸の家に嫁いで
2013年、結婚前に東京から夫・貴雄さんの実家を訪れ、初めて工房を見学した。
「“自営業でものづくりをしている”とは聞いていたけれど、実際に見るのはそのときが初めてで。まるで社会科の教科書の中の世界みたいで、『こんな仕事があるんだ!』と驚きました」
当時、夫はまだサラリーマン。過酷な労働環境で働く姿を見て、「継いでみたら?」と気軽に言ったことが転機に。そこから真剣に家業の継承を考えるようになり、ふたりは石川県へ移住することを決めた。
大学では英米文学を専攻し、保育士として働いてきた緋沙子さんにとって、漆器の世界は未知の領域だった。それでも「保育士ならどこでも働ける」という自信と、「いつか海外で保育士として働きたい」という夢を持っていた彼女にとって、石川は“遠くない場所”に感じられたという。
「言葉も通じるし、海外に比べたら全然近い、って(笑)。変な勢いがあったんです」
しかし、移住後すぐに妊娠がわかり、出産。自然な流れで家業を手伝うようになり、東京との文化の違いに戸惑うことも多かった。
「東京では共働きが当たり前で、育児も仕事も夫婦で協力するのが普通でした。でもこちらでは、“危ない仕事は男性のもの”、“事務やお茶出しは女性の役割”という昔ながらの空気があって。最初は“あ、こういうものなんだな”と、ちょっとびっくりしました」
地域の慣習や方言に戸惑いながらも、「東京から来た、伝統工芸の家のお嫁さん」としての立ち位置を模索する日々。そのなかで、保育士を辞める際に先輩からかけられた「気負わない方がうまくいくよ。最初から鎧を脱いだ方が楽だよ」という言葉の意味を、じわじわと実感していったという。