始まりは戦後 脈々と受け継がれる匠頭漆工木地師の仕事
御社の歴史について教えてください。
貴雄 弊社が始まったのは1978年ですが、活動の開始は終戦直後に遡ります。
戦争が終わったのち、多くの男性が戦地から地元に帰ってこられたのですが、当時は地元に仕事がありませんでした。私の祖父もそんなひとりだったといいます。
何人かが集まり今後のことを話していくなかで、地元の文化として存在していた「山中漆器の仕事をするのはどうか?」という案が生まれました。
そうして手先が器用な人は木地師になったり、話術が優れている人は問屋になったりと、それぞれが山中漆器関連の仕事についていったそうです。
祖父は職人として携わることになり、弊社の前進である漆器作りが始まったのです。
そんな祖父の様子を見ながら、父は中学校に通いつつ祖父の仕事を手伝ったと聞いています。やがて法人化し父が代表となり、そして今期からは私が代表に就くこととなりました。
久保出さんが木地師になられたのは、継ぎたいという想いがあったからなのでしょうか?
貴雄 いえ、実は継ぐつもりはなかったんです。
私は学生時代に野球をしておりプロを目指していました。しかし夢は叶わず、大学卒業後は就職して東京でサラリーマンになりました。
やがて妻と出会い、あるとき祖父や父の仕事のことを伝えたんです。妻から返ってきたのは「珍しい仕事だね」という言葉でした。
子どもの頃から身近だった木地師の仕事は、一般的な仕事ではないんだ。そんな気づきを得た出来事でした。
この出来事をきっかけに木地師の仕事に興味を持ちました。仕事を継ぐべきかどうか悩んだ時期もありましたが、妻が背中を押してくれて。そして12年前に家へ戻り、今に至るという形です。