木の命を生かす技術と情熱 匠頭漆工が手がける山中漆器の魅力
2025.01.20
木の命を生かす技術と情熱 匠頭漆工が手がける山中漆器の魅力
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ほれぼれするような美しい木目が特徴のワイングラス。その木目には人の手では決して表現できないであろう、自然の育んだ歴史が模様となり刻まれている。この商品を製造しているのは株式会社匠頭漆工(しょうずしっこう)
同社は、石川県加賀市の山中温泉地区で作られる石川県の伝統的工芸品、山中漆器の木地挽きを担う企業だ。オリジナル商品を展開し、積極的な情報発信もしている。今回は同社の3代目である久保出夫妻に、活動に込めた想いについて伺った。
PROFILE|プロフィール
左:久保出 貴雄(くぼで たかお)、右:久保出 緋沙子(くぼで ひさこ)
左:久保出 貴雄(くぼで たかお)、右:久保出 緋沙子(くぼで ひさこ)

久保出 貴雄
1986年石川県加賀市生まれ。2013年地元に戻り、匠頭漆工に入社。二代目久保出章二より木地挽きの技術を継承しながら、自社商品の開発を手掛ける。発案したmebuki椀がいしかわエコデザイン大賞受賞など、国内外数々の賞を受賞。

久保出 緋沙子
1989年東京都府中市生まれ。結婚を機に2013年より石川県に移住、匠頭漆工に入社。木地挽き、広報、海外への販売などを担当。

始まりは戦後 脈々と受け継がれる匠頭漆工木地師の仕事

御社の歴史について教えてください。
貴雄 弊社が始まったのは1978年ですが、活動の開始は終戦直後に遡ります。 
戦争が終わったのち、多くの男性が戦地から地元に帰ってこられたのですが、当時は地元に仕事がありませんでした。私の祖父もそんなひとりだったといいます。

何人かが集まり今後のことを話していくなかで、地元の文化として存在していた「山中漆器の仕事をするのはどうか?」という案が生まれました。
そうして手先が器用な人は木地師になったり、話術が優れている人は問屋になったりと、それぞれが山中漆器関連の仕事についていったそうです。

祖父は職人として携わることになり、弊社の前進である漆器作りが始まったのです。
そんな祖父の様子を見ながら、父は中学校に通いつつ祖父の仕事を手伝ったと聞いています。やがて法人化し父が代表となり、そして今期からは私が代表に就くこととなりました。

久保出さんが木地師になられたのは、継ぎたいという想いがあったからなのでしょうか?
貴雄 いえ、実は継ぐつもりはなかったんです。
私は学生時代に野球をしておりプロを目指していました。しかし夢は叶わず、大学卒業後は就職して東京でサラリーマンになりました。

やがて妻と出会い、あるとき祖父や父の仕事のことを伝えたんです。妻から返ってきたのは「珍しい仕事だね」という言葉でした。
子どもの頃から身近だった木地師の仕事は、一般的な仕事ではないんだ。そんな気づきを得た出来事でした。

この出来事をきっかけに木地師の仕事に興味を持ちました。仕事を継ぐべきかどうか悩んだ時期もありましたが、妻が背中を押してくれて。そして12年前に家へ戻り、今に至るという形です。
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