越前和紙の伝統をつなぐ、五十嵐製紙が挑む課題
2023.10.03
越前和紙の伝統をつなぐ、五十嵐製紙が挑む課題
越前和紙には、1500年もの長い歴史がある。越前の紙漉き職人は、古来の高い技術を受け継ぎながら、時代の変化に合わせて多様な技法を生み出し続けてきた。
創業から104年目を迎える五十嵐製紙も、越前和紙の伝統と技術を受け継ぐ工房のひとつだ。五十嵐製紙では、和紙の原材料不足を補うためにフードペーパーを開発したり、産業存続のため若い世代の人々に和紙の魅力を伝えたりと、多様な課題に挑んでいる。
今回は、五十嵐製紙で伝統工芸士として活躍している五十嵐匡美さんにインタビューを実施。和紙の製造工程や産業としての課題、五十嵐製紙の取り組みについて、話を伺った。
PROFILE|プロフィール
五十嵐 匡美(いがらし まさみ)

大正八年創業の五十嵐製紙四代目。
母でもあり、主婦でもあり伝統工芸士の紙漉き職人でもあります。季節感を大切にしながら紙漉きをしています。

歴史ある地に生まれ、自然と職人の道へ

五十嵐製紙の創業について、また現在の工房の特徴を教えてください。
五十嵐製紙は、1919年(大正8年)に私の曽祖父が立ち上げました。2023年10月で、創業104年目を迎えます。現在は家族やパートの方を含めて9人で製造しており、私と母は伝統工芸士として活動中です。

作っているものは、主に壁紙やふすま紙のほか、包み紙やお酒のラベルといった包装紙、小物類など多岐にわたります。製造するものの形や厚さ、大きさは問いません。平面も立体も、薄いものも厚いものも何でも対応します。

当工房の特徴は、チャレンジ精神旺盛なことです。「これ、できますか?」と依頼をいただければ、「1回やってみましょう」となります。問屋から「ほかの工房に頼んでみたけど断られてしまって。五十嵐製紙ではできますか?」と相談いただくこともありますね。

五十嵐さんが工房に携わった経緯をお聞かせください。
私が一人っ子だったこともあり、代々続いている工房を継ぐのが当たり前の流れでした。越前は日本最古の和紙の産地で、多くの人が紙漉き(かみすき)に携わっている街ですから。

紙漉きが伝わったのは、1500年ほど前です。中国から仏教(お経の本)とともに渡ってきたという説と、農作物の栽培に適してない大瀧神社周辺地域のために、女神様が紙漉きを教えたという説があります。

いろいろな説がありますが、近くに越前港があることと、奈良の正倉院に越前で漉かれた書物があることから、中国から伝わったとされる説が有力ですね。

日本最古の和紙の産地とのことですが、産地全体の工房数はどのくらいあるのでしょうか?
50軒以上あると思います。福井県和紙工業協同組合に加盟していないところもあるので、正確な数は分かりません。携わる人には、紙漉きの道具を作る方や和紙製造に関わる方など、さまざまな方がいらっしゃいますよ。

ただ、最近は後継者がいないので、工房自体が減ってきています。仕方のないことだとは思いますが、少し寂しいですね。

和紙の原料不足から、食品を活用したフードペーパーを開発

和紙の製造工程を教えてください。
紙の原料を水に浸け、そこに苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を入れて煮ます。灰汁(あく)抜きを行った後、出てくるゴミを手作業で取り除く「ちりとり」をします。ちりとりをしたものは、木の繊維を細かくするために木の棒で叩きます。

叩く作業には機械と手作業があるのですが、どちらで行うかによって仕上がりの風合いや触り心地が変わるのです。この作業は、少なくとも2〜3時間かかりますね。

その後、アオイ科の植物であるトロロアオイから作られた「ネリ」を混ぜ、粘性の液体を作ります。美しい紙を漉くには、繊維を均一にむらなく水中に分散させておく必要があります。ネリがあることで、紙を漉く際に繊維は互いに絡み合うことなく水中で分散するのです。紙漉きの際には、ネリを混ぜた原料を何層にも重ねていきます。紙漉きの後は水分を抜いて板に貼り付け、乾燥したら完成です。

どの工程も重要なのですが、なかでも時間がかかるのはちりとりです。うまくチリ(ゴミ)が取れてないと、紙漉きがきれいにできません。また、お客様によって色味の好みが違うので、ちりとりの際に希望の色味が出るよう振り分けを行っています。

ネリを作る作業も、同じくらい重要です。温度や混ぜ具合によって、質が変わってしまうからです。原料の煮えが甘いと筋が硬くなってしまい、和紙ができたときにその筋が残ってしまいます。
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