
つまみかんざし博物館 イシダ商店3代目。
1959年、東京に生まれる。幼少の頃から仕事の手伝いをして仕事に馴染む。23歳の時、父・健次に師事し正式につまみかんざしの職人となる。
1984年、米国にてつまみかんざし制作を披露。また同年、銀座にて父と「父子展」を開催。以後、都内各地で10年以上「父子展」を続ける。
1992年以降中国の北京・西安・瀋陽などで数回「父子展」を開催。
2003年以降名古屋で個展、以後毎年開催。
2009年「新宿ものづくりマイスター」認定。
東京・高田馬場に工房を構えるイシダ商店。その歴史は、石田さんの祖父の代に遡る。福島県の農家に生まれた祖父が、働き先として選んだのがつまみかんざし職人の家であった。それが、石田家に続く職人の道の始まりとなった。
「祖父は福島の農家で生まれました。長男ではなかったので働きに出されて、それがつまみかんざしの職人の家だったという感じです。それで東京でかんざし作りを始めて、その後父親の代となり、のちに私が継承しました」
職人の家に生まれ育った石田さんにとって、家業の手伝いは日常の一部だった。夏休みなどの長期休暇には、遊びに行く時間以外は家の仕事を手伝うのが当たり前の環境であったという。物心ついた頃から自然と技術に触れていたが、自らの意思で職人の道を選んだのは大学卒業後のことだった。
こうして、石田さんはつまみかんざしの世界に本格的に足を踏み入れた。それは、40年以上にわたる職人人生の幕開けであった。
石田さんが職人となった1980年代初頭は、和装離れが進み、かんざしの需要が落ち込んでいた時期であった。伝統工芸品への関心も今ほど高くはなく、業界は厳しい時代を迎えていた。
しかし、その後、少しずつまた着物を着る人が増え、状況は変化していく。特にここ10年ほどは、手作りブームの到来が大きな転機となった。趣味でつまみかんざしを制作する人が増え、伝統工芸としての認知度が向上。石田さんのような伝統的な職人だけでなく、独自の技術を習得した「作家」として活動する人々も現れた。
現在、つまみかんざしの主な用途として最も多いのは、七五三で7歳の子供がつけるものである。これは全国的な行事であり、着物を着る機会が多いため、安定した需要がある。その次に、成人式の振袖用などが続く。舞妓さんが使用するものは、世界観が限定されるため数としては多くないという。
