伝統を結び、未来を紡ぐ ── 伊賀組紐が靴紐で挑む新たな地平
2025.10.03
伝統を結び、未来を紡ぐ ── 伊賀組紐が靴紐で挑む新たな地平
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かつて武士の刀の下げ緒や女性の帯締めとして欠かせない存在だった組紐は、奈良時代から続くとされる日本の伝統工芸だ。三重県伊賀市は長きにわたってその技術を紡ぎ続け、「伊賀組紐」は、日本三大組紐として広く知られている。しかし、洋装化の進展とともに需要は減少し、最盛期に100軒以上あった工房は、今では18軒ほどにまで減ってしまった。
糸伍株式会社では「伝統を守る」ことにとどまらず、新しい時代に向けた挑戦が続いている。プロ野球やサッカー選手が実際に使うスパイクの靴紐や、国際大会の記念品への採用など、組紐の可能性を広げる試みが注目を集めているのだ。
今回は、伊賀の地で4代にわたり組紐を紡いできた同社社長の松田さんに話を聞き、伝統を未来へとつなぐ取り組みを紹介する。
PROFILE|プロフィール
松田 智行(まつだ ともゆき)

糸伍株式会社 代表取締役社長

歴史を背負い、家業を継ぐ決断

伊賀組紐の歴史は、明治35年にさかのぼる。江戸で組紐を学んだ広沢徳三郎が技術を持ち帰り、伊賀の地に根付かせたのが始まりだ。以降、伊賀は京都・東京と並んで組紐の産地として知られるようになり、帯締めや装飾品を通じて日本文化を彩ってきた。

糸伍の創業は昭和29年。松田さんの祖父とその兄が、手組みではなく機械織りによる組紐づくりに挑戦したことから始まった。志を同じくする仲間とともに立ち上げ、時代の変化に合わせて技術を磨いてきた。現在は4代目にあたる松田さんが工房を率いている。

松田さんは、もともと大手半導体メーカーでエンジニアとしてキャリアを積んでいた。最新鋭の半導体工場で製品プロセスや信頼性評価に携わっていたが、結婚を機に「家業を継ぐべきだ」という意志を固め、29歳で伊賀に戻った。

「小さい頃から機械の音を聞いて育ちましたが、実際に自分が継ぐとなると不安も大きかった。けれど、伝統を残していかなければならないという責任感が勝りました」と振り返る。異業種で培った技術者としての視点が、のちの新商品開発にも生かされていく。