生活に寄り添うつげ櫛を作り続けて 江戸職人の考えるつげ櫛の魅力
2024.09.23
生活に寄り添うつげ櫛を作り続けて 江戸職人の考えるつげ櫛の魅力
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暖かな黄色味を帯びた櫛。手に持つと不思議と馴染み、髪を梳かせばスーッと通る。十三や櫛店の15代目店主である竹内敬一さんによれば、それこそがつげ櫛の特徴なのだという。ここにたどり着くまでには数十もの工程があるというのだから驚きだ。
今回は長年つげ櫛作りに携わる十三や櫛店の竹内敬一さんにインタビューし、つげ櫛の歴史や魅力、その哲学について話を伺った。
PROFILE|プロフィール
竹内 敬一(たけうち けいいち)
竹内 敬一(たけうち けいいち)

昭和42年生まれ。高校を卒業後、十三や櫛店に入り、業務に勤しんできた。十三や櫛店のつげ櫛は質が高いことで人気を博し、御用達制度があった時代には皇室にお納めする品でもあった。上質な薩摩つげを使用し、今も手作業でつげ櫛作りを続けている。

櫛作りに最適なつげの木を使った櫛

最初につげ櫛の歴史について教えてください。
つげ櫛は、つげという木で作った櫛のことをいいます。
櫛自体の歴史はとても古く、日本では縄文時代の遺跡から出土しているそうです。また、現在でも用いられるような横型の櫛は大陸から渡ってきたといわれています。そうして日本に渡ってきた際、櫛にあった材質を探したところ、つげが選ばれたのでしょう。

良い櫛にはいくつかの特徴があります。ひとつは、持った際の手触りが滑らかということで、これは素材の密度が重要となってきます。また、一定の硬さがあり、粘りがあると、櫛の歯の奥まで磨き込むことが可能となります。つまり、弾力性があるということが、櫛の丈夫さにつながるのです。
これらにより、髪の通りが良くなり、地肌にもやさしい当たり具合になります。

たとえば、櫛に合わない木を用いた場合、地肌を傷めてしまう恐れがあります。また、折れやすいものになってしまったり、髪の通りも悪く、梳かし心地の悪い櫛になってしまうことも考えられるのです。
日本においてこうした条件を満たした材質がつげでした。つげ自体は庭木に使われるほど一般的ですが、櫛に使えるほど良質なつげは、日本の中でも一定の場所でしかとれません。

十三や櫛店では、鹿児島県の薩摩つげを用いています。酸性の土壌であり、黒潮が流れている海の近くという厳しい環境において、アルカリ性の石灰を撒き生育を良くしているそうです。
つげを用いた櫛、つまりつげ櫛の歴史もまた古く、父の知人であった東京大学の教授によると、平城京があった時代の井戸の遺跡からつげ櫛が出土しているそうです。つまり、少なくとも今から1300年以上前にはつげ櫛があったということになります。

当時のつげ櫛は祭礼用にも使われていました。さらに、一般の庶民にも用いられるようになったのは江戸時代のことで、つげ櫛の種類は爆発的に増加していきました。江戸時代には庶民に「日本髪」という文化が生まれ、それを整えるために櫛が求められるようになったのです。日本髪には多くの種類が存在し、それぞれ流派にあった形の櫛を使っていたといいます。

江戸時代、質の高い、俗にいうプロ用のつげ櫛を作る産地が3つありました。当時は交通や運送技術が未発達だったため、地形の関係から産地がこれら3つの地域に収束していったとされています。

まずは琵琶湖を境に、西日本側の櫛の産地として栄えたのが大阪です。次に、琵琶湖から東に向かって箱根周辺までに櫛を生産していたのが木曽薮原(長野)です。そして最後に、箱根の山より東から北日本に対して櫛を制作、供給していたのが江戸、つまりここ東京です。

大阪の櫛は角があるいかり肩のような形をしており、東京の櫛は丸みを帯びた形をしています。長野の櫛はその中間というイメージです。櫛の形に違いがあるのには理由があります。

東京では、一枚の板が無駄にならないように、櫛にするときのことを考えて板を大きめに切り、ふしなどの使えない部分があった際にはそこを避けて櫛を作るそうです。その結果、櫛に加工する際に板にゆとりが出るので、丸みを帯びた仕上がりとなるのです。
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