伝統を守るということは常に外へ目を向けるということでもある。日本を代表する焼き物の産地である岐阜県の東濃地方。1804年に同地・多治見で開窯した美濃焼の幸兵衛窯は、革新の中でその歴史を繋いできた。
名古屋から車を走らせ北東へ向かう。市街化された景色から次第に瀬戸の里山の色が濃くなり、岐阜との県境に横たわる峠を越えた。古代、愛知と岐阜にまたがり、東海湖と呼ばれた琵琶湖の6倍にも及ぶ広さの湖があったという。その堆積土が焼き物に最適な良質な粘土をこの地方に形成してきた。多治見はその北端。一帯は愛知県側の瀬戸と共に、日本を代表する焼き物の産地として1,300年続いている。
同所にある
幸兵衛窯の八代目・加藤亮太郎さんが語るのは、美濃焼を現在の地位に至らしめた茶人・古田織部以来の「進取の気質」である。つまり、積極的に新しい物事に取り組んでいこうという姿勢だ。
「織部はそれまでの茶器の地味な色合いに、緑やオレンジ、白など華やかな色を持ち込みました。歪み・剽げというのですが、形もいろいろと変形させて動きのある面白い焼き物を生み出したのです。人を驚かせよう、新しいものを見せて喜んでもらおうというプレゼンテーションです。その精神が美濃焼には脈々と根付いています」