光の陰影を織り込む、3次元の光沢��:kuska fabric
2024.12.09
光の陰影を織り込む、3次元の光沢:kuska fabric
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丹後ちりめんの生地製造卸売店からリブランディングして再出発したkuska fabric。用途に応じて多様な機織り機を自社で製作し、レザー素材を織り込むなど、アパレルからサーフボードまで独自の商品開発の可能性を広げる。生地にデザインをのせるのではなく、素材そのものにデザインを入れ、偶発的な歪(いびつ)さから3次元の風合いや光沢のあるオンリーワンの織物を作り出している。「海の京都」と呼ばれるエリアに位置する丹後の現地工房を取材し、同社代表・楠 泰彦さんに話を伺った。
PROFILE|プロフィール
楠 泰彦(くすのき やすひこ)
楠 泰彦(くすのき やすひこ)

京都府与謝野町出身。30歳で東京から地元に戻り、家業の丹後ちりめん織物業の跡を継ぐ。2010年には自社ブランドkuska fabricを立ち上げ、アパレル、バッグ、家具など多岐にわたり手織りの商品を開発している。帝国ホテルに旗艦店を構え、イギリス・ロンドンにある紳士服の聖地サヴィル・ロウのロイヤルワラント(英国王室御用達)を持つ店舗でも商品を展開。またWEBメディア「THE TANGO(ザ・タンゴ)」を運営し、地域情報を発信している。

手仕事で生まれる、歪(いびつ)な魅力

事業とその始まりについてお聞かせください。
約300年前から着物を織る地場産業、丹後ちりめんの生地製造・販売する工房を、私の祖父、楠 嘉一郎(くすのき かいちろう)が「楠嘉(クスカ)織物」として1936年に創業しました。私が生まれる前は織物業界はまだ右肩上がりでした。その後中学生の頃から地元を離れ、高校卒業後東京に移り、前職は建設関係の仕事に携わっていました。30歳を前に丹後に帰省した際に廃業寸前だった家業を見て、自分が生まれ育ち、ものづくりを見続けてきた場所や丹後地域が廃れていく姿をなんとかしたいと思い、家業を継ぐことを決めました。2008年に帰郷し、専門書や研修を通じて学び、2010年から自社ブランドをスタートしました。

それまで行っていた機械製造での大量生産・大量消費に疑問を抱き、製造工程の方向性を変え、職人の手仕事によるオンリーワンのものづくりを目指しました。独自の手織り商品開発のため、手織り用の機織り機を自作しています。前職が建設関係の仕事だったこともあり、ものづくりのノウハウはありました。近隣から古い手織りの木材をもらい受け、ジャガード織の機械と組み合わせたハイブリッドな手織り用の機織り機を自らの手で一つひとつ組み立てました。自社工房にあった大量生産用の機械はすべて廃棄しました。
そして京都の問屋に納める従来の和装の流通を簡素化し、下請けのイメージが強い丹後ちりめんを直接販売してブランディングすることにしました。

東京での仕事を通して都市部でのマーケット感覚を掴んで帰郷したことも良かったと思います。良いものを作っても多くの人々に認知されないとビジネスにはつながりません。東京での経験はマーケットを意識したものづくりに生かされていると思います。

ファッション業界は大量生産・大量消費の象徴ともいえますが、どのようにお考えですか?
当社は大企業ではありませんから、大量生産、大量消費では作り出せない自社ならではのオリジナリティを考えたとき、手仕事で生まれる美しさ、オンリーワンのものづくりを追求しようと思いました。人間国宝、北村武資さんの個展で手織りの絡み織り(からみおり)を見たとき、手仕事で生み出された美しさに魅了されました。機械で織った丹後ちりめんは均一性が特徴で、大量生産が可能な2次元の織物です。一方、手織りの丹後ちりめんは空気を含ませて立体的に織るため、歪(いびつ)さが出ます。つまり機械で織った織物と異なり、コントロールできない偶然性のあるでこぼことした風合いの3次元の織物となるため、光の陰影による表情が生まれます。それは熟練した手仕事でこそ生まれる美しさなのです。
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