羽のように軽い手織物、岩手の女性たちが守り続ける「ホームスパン」
2025.09.19
羽のように軽い手織物、岩手の女性たちが守り続ける「ホームスパン」
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岩手の冬は、長く、厳しい。農閑期になると女性たちは、麻や木綿を手織りして自分たちの着るものをこしらえていたそうだ。そこに、イギリスで発展した「ホームスパン」の技術が宣教師によって伝えられたのは明治時代のこと。生活スタイルが変化するなかでも、その技術は実直な岩手の人びとの手で受け継がれ、やがて土地の文化となってきた。
1962年創業の「みちのくあかね会」は、戦後の未亡人たちに仕事を提供する場として立ち上げられ、ホームスパンを作り続けている。羊毛を手作業で染め、紡ぎ、織り上げた毛織物は、ぬくもりがありながら驚くほど軽い。盛岡市にある作業場を訪ね、ホームスパンがたどってきた歳月と、今なお続く手仕事への想いを聞いた。
PROFILE|プロフィール
渡辺 未央(わたなべ みお)
渡辺 未央(わたなべ みお)

岩手県出身。岩手大学教育学部特設美術科で染織を専攻。大学卒業後はテレビ制作会社に勤務していたが、35歳のときに「もう一度、手仕事に向き合いたい」との思いから、みちのくあかね会に入社。作り手として5年間現場で技を磨いたのち、事務部門へと移り、製品企画やデザイン、資材の手配、広報、経理、採用など幅広い業務に携わる。現在は、ホームスパンの魅力を全国に発信する役割を担っている。

手仕事のぬくもりが宿る、岩手の「ホームスパン」

ホームスパンとは、どういうものか教えてください。

ホームスパンはもともとイギリスの手仕事で、直訳すると「家庭で紡がれた毛織物」という意味です。羊毛を手で紡ぎ、手織りして作られるもので、明治時代に宣教師によって岩手県二戸市に伝えられたのがはじまりです。

その後、第一次世界大戦の影響で毛織物が海外から輸入できなくなり、国策として羊毛の国内生産が推奨されるようになりました。冷涼な気候が羊の飼育に向いているということで、岩手や長野、北海道などに羊がやってきたんですね。

現在は販売を目的に作られていますが、戦後は農家の各家庭で羊を飼って、自分たちで着るものを作っていたことがベースにあります。暮らしのなかで使うものは、自分たちの手でこしらえる。そんな手仕事が当たり前だったんです。

やがて各地で産業として広がりましたが、機械化やライフスタイルの変化とともに次第に衰退していきました。それでも技術が受け継がれ、現在では全国で唯一、岩手県だけがホームスパンの産地として残っているんです。