木桶のルネサンス:中川木工芸の世界を魅了するデザイン【前編】
2025.09.03
木桶のルネサンス:中川木工芸の世界を魅了するデザイン【前編】
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約700年前に大陸から伝わったとされる木桶の技術。中川木工芸 比良工房では、伝統的な木桶を現代の生活に合わせ、他分野との連携を通して、その可能性を拡張し続けている。そこには、伝統工芸のイメージを鮮やかに覆す、革新的なものづくりの哲学があった。
今回は、滋賀県大津市・琵琶湖西岸に連なる山地の麓にある工房でお話を伺った。
PROFILE|プロフィール
中川 周士(なかがわ しゅうじ)
中川 周士(なかがわ しゅうじ)

1968年京都市生まれ。中川木工芸の3代目。1996年京都美術工芸展 優秀賞受賞。1998年京都美術工芸展 大賞受賞。2003年、中川木工芸 比良工房を開設。2010年木桶「konoha」がフランスの高級シャンパン銘柄の公式シャンパンクーラーとして採用以降、国内外で多岐にわたる活動を行う。

アーティストを目指し芽生えた、対極の眼差し

事業とその始まりについて教えてください。

約100年前、三重の農家で生まれた12人兄弟の11番目だった祖父・中川亀一(かめいち)は、11歳で京都の老舗桶屋「たる源」に丁稚奉公に行きました。当時は一般家庭でお櫃、寿司桶、風呂桶などが当たり前に使われ、日常生活に木桶は欠かせない存在でした。祖父は約40年間工房に勤めたあと独立し、京都に中川木工芸を立ち上げて伝統的な木桶づくりを始めます。

2代目となる父、清司(きよつぐ)は家業の傍ら、木目を意図的に合わせることで文様に見立てた木工芸品を発表。木目を合わせることで寄木細工のような装飾を表現する技により、2001年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。

それ以来、周りからは常に人間国宝の息子だと言われるようになり、その反発心から親の七光りや“京都”というネームバリューも捨て、自らの力だけで何ができるのか挑戦したいと強く思うようになりました。そして2003年、学生時代に山登りでよく訪れていた滋賀県の比良山地の麓に自身の工房を開設しました。

家業を継いだきっかけや経緯について教えてください。

幼少期から父や祖父は私が家業を継ぐことを期待していましたが、思春期の頃は、家族全員が同じ場所で仕事をするという一般家庭とは異なる環境が嫌でした。ものづくりは好きでしたが高校卒業後すぐに家業に入ることは考えておらず、1歳でも早く職人を始めてほしい両親を説得し、京都精華大学芸術学部に進学し、立体造形を専攻しました。

創業当時の祖父・亀一さんと父・清司さんの制作風景
創業当時の祖父・亀一さんと父・清司さんの制作風景