ナイキの「エア マックス1」は現在まで脈々と継承されてきたエア マックスシリーズの最初のモデルだ。3月26日の「エア マックスデー」も、このスニーカーが誕生しなければ存在しないものだった。今回はそんな偉大なるハイテクスニーカーの始祖というべきモデルの逸話やその魅力を、
スニーカーショップSKITの代表、鎌本勝茂さんに語ってもらった。
伝説のデザイナー、ティンカー・ハットフィールドの大傑作
エポックメイキングなデザインのスニーカーを世に輩出し続けるナイキ。その中でもハイテクスニーカーの始祖と謳われるモデルが「AIR MAX 1(エア マックス1)」だ。ナイキのスニーカーには、ソールに空気を注入するテクノロジーがよく搭載されている。1970年代後半、航空宇宙エンジニアのフランク・ルディによって開発されたこの技術はエアクッショニングシステムと名付けられ、スニーカー史を変える大きなテクノロジーとして記憶に刻まれていく。
そのエアクッショニングシステムを生かす、次なる一手として考えられたのが「エア マックス1」だったと鎌本さんは語る。
「このテクノロジーは1978年にリリースされた『エア テイルウィンド』に搭載されたのですが、踵に重心がかかったときにエアバッグにかかる圧の逃げ場がないという問題点があったそうです。
そこで、後に数々の伝説的スニーカーを手掛けることとなる天才デザイナーのティンカー・ハットフィールドが、試作品を作りながら世界中を旅して、1987年3月26日に発売したのが『エア マックス1』だったのです」
この「エア マックス1」が、後のスニーカーシーンに大きな影響を与えることは、まだ誰も知る由もなかった。
可視化できる“ビジブルエア”が大きな特徴
前例のないソール構造とカラーリングでスニーカーシーンに革命を起こした「エア マックス1」。そのデザインの特徴は、ソール内部に注入されたエアバッグが初めて外から見える仕様になったことだった。鎌本さんはこう語る。「当時、ティンカー・ハットフィールドは、デザインに煮詰まると世界中を旅して、インスピレーションを得ていたそうです。その旅の中で訪れたパリのポンピドゥセンターの構造と配色を見て刺激を受け、思いついたのが“ビジブルエア”のデザインというわけです」
これまでのランニングシューズとは一線を画すデザインと、フォルムが新鮮だったことも、発売当時に注目を浴びた要因のひとつでもある。
「ナイキはエアクッショニングシステムの履き心地の良さを訴求したかったので、あの“ビジブルエア”は説得力を持たせるために必要なデザインだったようです。
よく『エア マックス1の魅力は何だと思いますか?』と質問されるのですが、自分の感覚では『エア マックス1』は、ナイキの『コルテッツ』や『エア フォース1』、チャンピオンの『リバースウィーブ』のスウェットみたいに、もはや定番の域に達しているので、正直回答しづらいですね(苦笑)。