430年の歴史を背負って——博多織最古の織元「西村織物」が挑む、伝統工芸の未来
2025.05.05
430年の歴史を背負って——博多織最古の織元「西村織物」が挑む、伝統工芸の未来
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※音声読み上げ機能はAI生成のため、
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経糸で柄を浮かせるように綿密に織られる「博多織」。丈夫さと締め心地のよさが特徴で、古くから男帯として多く用いられてきた。
そんな博多織の歴史を、160年以上にわたって代々つなぐ織元が福岡にある。博多織最古の織元、西村織物だ。家紋で会社のロゴとして使われているマークは、豊臣秀吉から授与されたもので、430年以上の歴史があるという。
同社はどのような道のりを歩み、現在まで伝統をつないできたのか。6代目・西村聡一郎さんに、これまでのあゆみや博多織の魅力、今後の展望を伺った。
PROFILE|プロフィール
西村 聡一郎(にしむら そういちろう)
西村 聡一郎(にしむら そういちろう)

1977年 福岡県生まれ、大学卒業後、三菱重工業に入社
2005年 西村織物に入社、博多織技能養成学校での修行を経て、
2016年 西村織物六代目社長に就任

糸商から博多織の織元に

西村織物の歴史は、糸商からはじまった。西村家の祖先である長崎の豪族(松浦党)の西村増右衛門が、1587年に豊臣秀吉の博多町割に参画し、商人の神屋宗湛を助けた功により、“隅切り角に四つ剣菱”の紋を授与されたことがきっかけだった。

「戦国から江戸時代まで、しばらくは糸商を営んでいましたが、江戸幕府が海外への金銀流出を防ぐ政策をとったことから、絹糸の輸入が制限されるようになりました。そこで当時の当主・西村儀平は事業の方向性を変え、博多織をはじめました。今から164年ほど前のことです」

以来、博多織の織元・西村家として代々その歴史が紡がれてきたが、順風満帆なときばかりではなかった。

「今の織機は鉄製ですが、当時は木製だったため、1945年の福岡大空襲で建物も織機もすべて焼失しました。それを裸一貫で立て直したのが、私の祖父にあたる4代目・社長の西村政太郎です」
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