

(右)江戸12代銀師 上川 善嗣(かみかわ よしつぐ)
江戸幕府お抱え銀師・平田派の系譜を受け継ぐ銀師。東京都指定の伝統工芸品「東京銀器」を軸に、工房体験や展示を通じて国内外へ鍛金技術をはじめとし、日本の伝統工芸文化を発信し、次世代へ受け継いでいる。
(左)江戸13代銀師 上川 宗氣(かみかわ そうき)
先代より受け継がれる金鎚のバトンを手に、次世代を担う銀師。人生に寄り添い、時間と共に歩むブランド「合同会社銀伝堂」を立ち上げ、現代の暮らしに寄り添う新たな表現に挑戦している。
タン、タン、タン──工房をそっとのぞくと、鍛金の音が心地よく響いている。静寂のなか、銀に向き合う上川善嗣さんは、銀師(しろかねし)と呼ばれる銀細工職人だ。
創業は、東京オリンピック開催と同じ1964年。日伸貴金属という名には、高度経済成長のなかで、事業が日毎に伸びてゆくようにという願いが込められている。
銀師の歴史は長く、そのルーツは400年前、江戸幕府お抱えの銀細工職人平田派にさかのぼる。尾張で七宝の銀細工職人平田道仁からはじまり、簪などの銀の髪飾りや、鎧兜など装身具の製作を一手に担っていた。
善嗣「平田派9代目平田宗道の一番弟子が私の祖父・市雄(宗照)です。当時平田派の跡継ぎがいなかったこともあり、日伸貴金属は名門である平田派の流れを汲む銀師として、伝統の重みを感じながら銀と向き合い続けてきました。ちょうど私で平田派12代目の銀師職人です」
歴史のなかで育まれた銀師の技術。しかしその歴史は変わらないものを守りながら、時代に合わせて変化していくことの繰り返しでもあった。
善嗣「時代に求められる銀細工のありかたを模索し続けてきました。明治時代に廃刀令があったときから8代平田宗幸の時代になると、新しく入ってきた西洋美術を取り入れようと、東京藝大の前進である鍛金工芸科祖師帝室技芸員として、鍛金技術を伝えたり作品を出展しました」
銀師の技術の本質は変わらない。でも時代に応じて、求められるものを調和させていく。松尾芭蕉の“不易流行”という言葉を、善嗣さんは座右の銘に掲げている。
