京都の帯問屋での勤務を経て、家業の帯工房を継ぐ。世界最大級のテキスタイル国際見本市への出展やビッグメゾンのコレクションへの参加など、創業者である父が開発した螺鈿織を世界に発信。オリジナルプロダクトの制作や欧州の芸術大学との連携などローカルとグローバルを行き来し、京丹後からテキスタイルの新たな価値の創造を目指す。
民谷螺鈿は主に着物の帯を作る工房でした。創業者である私の父、民谷勝一郎が1977年に貝殻を織り込んで蒔絵(まきえ)の螺鈿細工を織物に表現するため、帯の技術のひとつである西陣織の伝統技法「引き箔(ひきばく)」を応用し、約2年間の研究を経て開発したのが「螺鈿織(らでんおり)」です。それから着物業界で螺鈿織という新たなカテゴリーができました。父の代では京都の帯メーカーや作家の加工先として仕事を受注していました。
私は大学卒業後、京都市内の帯問屋で4年間働いていました。長男ということもあって、その後は実家に戻り家業を継ぐこととなります。約10年間、仕事を覚えるためにさまざまな雑用をしていましたが、父が開発した螺鈿織には唯一無二の魅力やオリジナリティがあり、海外での展開など将来に大きな可能性を感じていました。
私が実家に戻ってから数年後の1996年、オリジナルの帯の販売を始めました。ちょうど私が実家に戻った頃にバブル時代の終焉を迎えて着物の市場が停滞していき、今もなお縮小しています。そんななか、京都のメーカーや作家からの受注だけでは事業の継続が難しいと感じ、オリジナルのプロダクト制作に舵を切るきっかけとなりました。京都のメーカーの加工先としての仕事も続けていますが、今ではオリジナルプロダクトの占める割合が大きくなっています。
螺鈿織の帯を皇室に納入したこともあり、品質には自信を持っていました。しかし当時は着物の本場は西陣など京都市内というイメージが強かったため、京丹後でのオリジナルの制作が難しく、いかに差別化してオリジナリティを出すかを考えていました。