【第4回】人間国宝・宮本貞治としての責任──技術の継承と教育の本質
2025.09.22
【第4回】人間国宝・宮本貞治としての責任──技術の継承と教育の本質
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人間国宝・宮本貞治の代表的な作風である波紋が、工房のある滋賀県の琵琶湖から着想を得たものだと判明した前回の配信。師匠から受け継いだ技術と宮本さんの内から出てくるデザインが見事に融合し、人間国宝として認められる次元へと昇華した。
そんな宮本さんは人間国宝となった今、何を思うのか。木工芸作家としての傍ら大学教員としても勤務しており、積極的に後世の育成にも関わっている。教育現場での姿をお聞きした。

人間国宝という存在

野球少年に将来の夢は何かと聞けば、プロ野球選手やメジャーリーガーになりたいと目を輝かせながら答えるだろう。宮本さんも、日本の伝統工芸の道に足を踏み入れたからには、いつかは人間国宝になりたいと考えたのだろうか。

「そんなこと思ったこともないですよ。黒田辰秋さんっていう偉大な人が近くにいて、こういう人がなるもんだって思っていましたから。」

修業しはじめたときから、宮本さんは人間国宝の技術や人となりを肌で感じ取っていたからこそ、謙遜してそう語ったのかもしれない。とはいえ、宮本さんは人間国宝に選ばれた。実際に、その認定へのプロセスはどのようなものだったのか。

「電話がかかってくるんですよ。今、こういう会議があって、人間国宝として宮本さんの名前が挙がっていますと。急に人間国宝になりますかって言われても、具体的に何をしたらいいかわからないですよ。

話を聞いてみると、無形文化財の技術を次の世代に伝えていくということなので、そういうことならと思ってお受けしますと伝えました」