【第3回】独立と試行錯誤──人間国宝・宮本貞治の作風の誕生
2025.09.15
【第3回】独立と試行錯誤──人間国宝・宮本貞治の作風の誕生
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師匠・黒田乾𠮷さんのもとで修業をした、人間国宝の宮本貞治さん。基本的な木工芸の技術を学びながら、作品づくりとは何かということを自身の中で具体化していく日々だった。そうして長い修業期間を終え、一人の木工芸作家・宮本貞治として独立を果たす。
第3回の配信では、宮本さんの独立直後の生活や、作品づくりの苦悩をお聞きした。弟子入りし、みっちりと鍛えられたとはいえ、そう簡単に仕事があるわけではなかったというリアルな話、そして師匠とは異なる宮本さん自身の作風は、どのようにして成立していったのか、その原点が語られる。

独立、そして伝統工芸展への挑戦

10年という約束のもと、黒田乾𠮷さんから木工芸とは何たるかを教わった宮本さん。

「10年の修行期間は長かったのか、短かったのか。今思えばあっという間の時間でした。弟子入りした時から使わせてもらっていた桜の仕事台を頂いて、親方の仕事場を後にしました」

独立と同時に今の奥様とも結婚され、夫婦二人三脚の日々が始まる。

「弟子入りしていたとき、師匠のところに注文をよく入れてくれた社長さんがいました。その依頼のあった作品を私が作っているのを知っていたので、独立したときには師匠を通さずに、僕のところに直接注文を流してくれたんです。まったく収入がなかったときだったので、うれしかったですね。

独立当初は、近くの大工やさんの所へバイトに行き、今月何日バイトしたら、二人生活できるかなと計算していました」

独立したとはいえ、最初から仕事がたくさん入り込むような簡単な道ではなかった。無名の職人であった宮本さんは、ここから精力的に伝統工芸展へ作品を出展していくことになる。

「伝統工芸展には、本展と支部展というのがあるんですが、そこには独立した31歳のときから挑戦していました。その年の本展に初入選を果たして以来、毎年作品を出品しています。というのも、特に支部展では、頑張って良い作品を出せば、ちゃんと評価してくれて、賞を頂きました。そうなると賞金も出るので、少しは生活が楽になっていきました」

その言葉通り、宮本さんは着実に評価を高めていく。1995年には日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を、2012年には日本工芸会保持者賞を受賞するなど、工芸において国内でもっとも権威のある公募展で名誉ある賞を次々と獲得。その名は、木工芸の世界に広く知られることとなった。

とはいえ、ここに至るまでには並々ならぬ努力があった。バイト生活をしながら工芸品の制作に、寝る間も惜しんで没頭したそうだ。

冗談交じりで「受賞は宝くじを買うよりは確率が高かった」と話してくれたが、その輝かしい賞を獲得するための努力の日々を、自慢話のようにひけらかしたりはしない。そうした振る舞いに、宮本さんの人柄が表れているようだった。

第20回伝統工芸木竹展(令和7年度) 「楓拭漆盤」
第20回伝統工芸木竹展(令和7年度) 「楓拭漆盤」