10年という約束のもと、黒田乾𠮷さんから木工芸とは何たるかを教わった宮本さん。
「10年の修行期間は長かったのか、短かったのか。今思えばあっという間の時間でした。弟子入りした時から使わせてもらっていた桜の仕事台を頂いて、親方の仕事場を後にしました」
独立と同時に今の奥様とも結婚され、夫婦二人三脚の日々が始まる。
「弟子入りしていたとき、師匠のところに注文をよく入れてくれた社長さんがいました。その依頼のあった作品を私が作っているのを知っていたので、独立したときには師匠を通さずに、僕のところに直接注文を流してくれたんです。まったく収入がなかったときだったので、うれしかったですね。
独立当初は、近くの大工やさんの所へバイトに行き、今月何日バイトしたら、二人生活できるかなと計算していました」
独立したとはいえ、最初から仕事がたくさん入り込むような簡単な道ではなかった。無名の職人であった宮本さんは、ここから精力的に伝統工芸展へ作品を出展していくことになる。
「伝統工芸展には、本展と支部展というのがあるんですが、そこには独立した31歳のときから挑戦していました。その年の本展に初入選を果たして以来、毎年作品を出品しています。というのも、特に支部展では、頑張って良い作品を出せば、ちゃんと評価してくれて、賞を頂きました。そうなると賞金も出るので、少しは生活が楽になっていきました」
その言葉通り、宮本さんは着実に評価を高めていく。1995年には日本伝統工芸展で日本工芸会奨励賞を、2012年には日本工芸会保持者賞を受賞するなど、工芸において国内でもっとも権威のある公募展で名誉ある賞を次々と獲得。その名は、木工芸の世界に広く知られることとなった。
とはいえ、ここに至るまでには並々ならぬ努力があった。バイト生活をしながら工芸品の制作に、寝る間も惜しんで没頭したそうだ。
冗談交じりで「受賞は宝くじを買うよりは確率が高かった」と話してくれたが、その輝かしい賞を獲得するための努力の日々を、自慢話のようにひけらかしたりはしない。そうした振る舞いに、宮本さんの人柄が表れているようだった。