伝統工芸を続けることの素晴らしさ
はじめに、石塚染工の創業について教えていただけますか?
石塚染工は、初代石塚梅次郎が明治23年頃に小田原で染物業として立ち上げました。初代から2代目の金次郎までは江戸小紋ではなく、柄も大きくて色鮮やかな豪華な着物を製作していました。
その後、拠点を現在の八王子に移し、3代目の私の祖父である健吉の代になると、シンプルな着物が求められるようになり、江戸小紋の型紙を仕入れて製作を始めました。しかし、江戸小紋は柄の大きさや細かさがさまざまであるため、祖父の代は極と言われる細かな柄までは製作していませんでした。
その後、父である4代目の幸生の代で極鮫や縞を製作するようになり、今は私が5代目として引き継いでいます。
江戸小紋は途中から始められたんですね。
そうなんです。江戸小紋は同一の柄を1色で染めるのが基本ですが、私の父の代ではパーティーやお祝い事にも着られるような訪問着や、自分で柄を組み合わせてデザインする絵羽などもたくさん製作していました。
父は若い頃に図案や配色、着物のデザインの一部を自分で手描きで描き上げていたりもしました。当時はいろいろなことに挑戦していたようですが、時代の流れとともに、極鮫や縞などの難易度の高い江戸小紋に特化していくようになったんです。
明治30年に八王子に移転した理由や背景は何でしょうか? きれいな水が流れる浅川が近くにありますよね。
江戸小紋の製作には、染色した布を水洗いする工程が必要です。この工程は川の近くでなければできないため、川の近くに移り住んだのだと思います。
ゆえに石塚染工も水洗いのために八王子のなかでも浅川のあるこの地に工房を構えたのだと思います。
型付けした後、型付けのムラを調整する4代目石塚幸生氏(経済産業大臣認定伝統工芸士、東京都マイスター)