伴 利兵衛
1940年生まれ。(株)東京松屋の18代目。昔ながらの手漉き和紙や江戸からかみの復興に挑み、1992年に393点を収録した見本帖『彩(いろどり)』を発行。江戸からかみの技術の保存・継承に取り組む。
高杉 裕也
1980年生まれ。「江戸からかみ」唐紙師。24歳のときに(株)東京松屋に就職。東京表具内装職業訓練校で表具師の技能を学んだのち、自社工房の責任者を務めている。
伴 東京松屋は、江戸からかみの版元和紙問屋です。襖紙・壁紙の和紙内装材料の製造・販売・卸売を行っています。
創業は江戸の元禄3年。今年で336年目になりました。何度も火事で焼けているため、資料がほとんど残っておりません。災難の度に風呂敷にくるんで上野の山に逃げ、守ってきた御本尊様・過去帳・お位牌によると、私で18代目です。
初代の松屋伊兵衛が本を企画販売する地本問屋を始めて、3代続いた後に紙屋になりました。その際伊兵衛あらため利兵衛となり、以来松屋利兵衛を代々襲名しております。このあたりは寺町なので、表具師さんが使う紙類を中心に、襖紙、障子紙、掛軸の表装用の金襴・緞子(きんらん・どんす)、襖榾(ふすまほね)、椽(ふち)、錺金具引手(かざりかなぐひきて)などを扱う専門店として商いを営んできました。
伴 平安時代までさかのぼります。北宋から渡ってきた紋唐紙を模して和紙を装飾し国産化した「詠草料紙(えいそうりょうし)」。当時の貴族がやまとうたを歌い、したためるために使われたこの美しい紙がからかみの技法の源です。最初は貴族屋敷にある衝立や屏風に使われ、後に襖へとその用途は変化していきます。
京で発展したからかみは、江戸初期に職人が江戸へと下ってきます。100万人都市の江戸では火事がよく起きたために襖の需要が高く、からかみの産業がよく栄えました。当時は10軒以上職人がいた記録もあります。江戸からかみは粋な町人好み。雀や草木など、素朴で季節感のあるモチーフを使った柄や、縞や格子が愛されていました。
明治・大正時代には、紙漉きの技術が向上して襖紙が大判になったことから、江戸からかみの版木も大きくなり、構図が大きくおおらかな文様が展開されるようになりました。