海から生まれ、四季を映すガラスへ──「津軽びいどろ」の歩み【前編】
2025.09.23
海から生まれ、四季を映すガラスへ──「津軽びいどろ」の歩み【前編】
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青森の豊かな四季を、万華鏡のように映し出すガラス工芸「津軽びいどろ」。しかし、その原点が漁業用の「浮玉」であり、2度の存続の危機を乗り越えて現在の姿があることはあまり知られていない。
時代に翻弄されながらも、職人たちはいかにして困難を乗り越え、ガラスの可能性を広げてきたのか。北洋硝子株式会社工場長である中川洋之さんに、その70年以上の歩みを伺った。
PROFILE|プロフィール
中川 洋之(なかがわ ひろゆき)
中川 洋之(なかがわ ひろゆき)

北洋硝子株式会社 常務取締役 工場長

津軽びいどろで扱う製品すべての色づくり・溶融を一手に担う、北洋硝子の工場長。その高い技術が評価され、2012年には「あおもりマイスター」に認定される。ガラス職人として30年以上を歩み、ガラスの色づくりに関して豊富な経験や実績をもつ。現在は後進の育成にも尽力。

原点は漁師の「浮玉」

その歩みは、1949年に遡る。青森の地で、北洋硝子は漁業用の「浮玉」を作る工場として産声を上げた。昭和20年代、青森ではホタテの養殖が盛んになり始め、浮玉の需要は爆発的に増加した。

「1軒の漁師さんが、500個以上も使うんです。それが何百軒とあるわけですから、相当な数を作っていましたね」中川さんは当時をそう振り返る。

北洋硝子の浮玉には、誇りと自信の証しとして「北」という漢字のマークが刻まれていた。エンブレムを入れるという発想自体が珍しかった当時、それは「うちのガラスは丈夫だ」という、職人たちの静かなプライドの表れだった。

その品質は、やがて海を越える。太平洋を2年半から3年かけて漂流し、アメリカの海岸にたどり着いた「北」マークの浮玉。漢字が読めないアメリカの人々は、このマークをアルファベットの「F」が2つ並んでいると見立て、「ダブルエフ(FF)」と呼んだ。これが後に、北洋硝子の一つのシリーズ名となる。

職人たちは来る日も来る日も、吹きガラスの技術で浮玉を作り続けた。そして作れば作るほど、その技術は磨かれていく。この、日々ガラスを吹き続けた経験こそが、後に会社を救う唯一無二の財産となるのだった。

創業当時に北洋硝子で作られてい��た北マーク(ダブルF)の付いた浮玉
創業当時に北洋硝子で作られていた北マーク(ダブルF)の付いた浮玉