北洋硝子株式会社 常務取締役 工場長
津軽びいどろで扱う製品すべての色づくり・溶融を一手に担う、北洋硝子の工場長。その高い技術が評価され、2012年には「あおもりマイスター」に認定される。ガラス職人として30年以上を歩み、ガラスの色づくりに関して豊富な経験や実績をもつ。現在は後進の育成にも尽力。
その歩みは、1949年に遡る。青森の地で、北洋硝子は漁業用の「浮玉」を作る工場として産声を上げた。昭和20年代、青森ではホタテの養殖が盛んになり始め、浮玉の需要は爆発的に増加した。
「1軒の漁師さんが、500個以上も使うんです。それが何百軒とあるわけですから、相当な数を作っていましたね」中川さんは当時をそう振り返る。
北洋硝子の 浮玉には、誇りと自信の証しとして「北」という漢字のマークが刻まれていた。エンブレムを入れるという発想自体が珍しかった当時、それは「うちのガラスは丈夫だ」という、職人たちの静かなプライドの表れだった。
その品質は、やがて海を越える。太平洋を2年半から3年かけて漂流し、アメリカの海岸にたどり着いた「北」マークの浮玉。漢字が読めないアメリカの人々は、このマークをアルファベットの「F」が2つ並んでいると見立て、「ダブルエフ(FF)」と呼んだ。これが後に、北洋硝子の一つのシリーズ名となる。
職人たちは来る日も来る日も、吹きガラスの技術で浮玉を作り続けた。そして作れば作るほど、その技術は磨かれていく。この、日々ガラスを吹き続けた経験こそが、後に会社を救う唯一無二の財産となるのだった。