卯山窯が語る信楽焼の今と未来──光を宿す「信楽透器」と現代に息づく哲学
2025.09.25
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滋賀県甲賀市信楽町。日本六古窯の一つに数えられる信楽の焼き物といえば、素朴で力強い風合いが魅力である。その陶都に工房を構えるのが、「卯山窯」である。
1939年の創業以来、伝統的な大物陶器から現代のライフスタイルに寄り添う小物まで、時代と共に柔軟に変化しながらものづくりを続けてきた。この記事では、3代目当主である株式会社卯山製陶の西尾さんへの取材を通じ、その歩みと葛藤、そして新素材「信楽透器」開発の背景から、信楽焼の今と未来を紐解いていく。
PROFILE|プロフィール
西尾 照幸(にしお てるゆき)
西尾 照幸(にしお てるゆき)

滋賀県信楽町生まれ 大学卒業後、東京の海外家具メーカー代理店でデザイナーとして勤務。その後、家業の株式会社卯山製陶に入社し、信楽窯業試験場で大物ろくろ技術を学ぶ。土の素材感を大切にしたものづくりを行い、伝統的な技法を活かしつつ新しい素材を取り入れた作品を制作。生活や空間に溶け込む焼き物を目指し、伝統と現代的デザインを融合させたものづくりをしている。

祖父から受け継いだ窯、3代目としての葛藤

1939年、西尾さんの祖父が登り窯を構えたことから卯山窯の歴史は始まる。戦前から続く窯元を受け継ぎ、3代目として西尾さんが代表に就任した背景には、単純な事業承継以上の思いがあったと語る。

「当時は親が高齢になってきて、僕も帰ってきて何年か経ったころだったので、『じゃあ代わろうか』という感じで受け継ぎました。3代目になれば自由にできると思っていたところ、現実はそう甘くなかった」

当初西尾さんは、信楽焼を海外で展開し、その価値を日本へ「逆輸入」するような形で発信できないかと考えていたという。 しかし、その思いは経験を重ねるなかで変化していく。

「いろいろなところに参加していると、日本国内で認められなければ、海外に持っていってもだめだろうという考えにだんだんと変わってきたんです。向こうに持っていっても、その先には続かず、目に留まることはないんじゃないか、と」

過去にはミラノ・サローネへの出展を含め、いくつか海外出展も経験したが、どれも西尾さん自身が直接現地に赴いたわけではなかった。自身の足で海外の展示会へ出向き、生の声を聞こうと決意したまさにその時、コロナ禍に見舞われ、その挑戦は中断を余儀なくされた。