1300年の伝統を拡張する、畳の新たな可能性:山田一畳店
2024.09.16
1300年の伝統を拡張する、畳の新たな可能性:山田一畳店
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日本独自の伝統文化、畳。かつての日本家屋には欠かせない存在だった。しかし近年では手入れのしやすいフローリングが普及し、畳の生産量も減少しつつある。そんななか、「畳は四角」という既成概念を覆す新しいデザイン畳を制作する山田一畳店
建築士事務所での経験を生かしてデザインからプロモーションまで総合的に展開。領域の異なる専門家との展覧会企画を主催するなど多岐にわたり精力的に活動し、1300年間続く歴史の中でその形を変えなかった畳の新たな可能性に挑戦している。その現地工房を取材し、同社5代目を継ぐ山田 憲司さんに話を伺った。
PROFILE|プロフィール
山田 憲司(やまだ けんじ) 
山田 憲司(やまだ けんじ) 

畳職人
100年以上続く畳店の5代目として岐阜羽島に生まれる。
大学で建築を学び、建築士事務所にて勤務したのち畳店を継ぎ、2018年より光の反射による色の変化を利用して、多様なデザインの畳作品を制作している。

きっかけはハイエース

事業とその始まりについてお聞かせください。
当社は、1869年(明治2年)に創業しました。700年に畳は生まれ、その歴史は1300年続いています。庶民にまで一般化したのは江戸末期から明治時代以降。それまで畳は高級品だったため、身分の高い人たちのためのものでした。ですから畳店は一般的に明治以降、創業100年〜150年の店が多いです。私は5代目として家業を継ぎました。

建築士事務所で勤務したのち家業を継いだとのことですが、そのきっかけを教えてください。
私は1983年生まれで、畳の人気が衰退してきた時代に育ちました。畳に対して少し古いイメージがあり、小学生の頃から畳よりフローリングがかっこいいと思っていました。また各家庭にも畳の部屋が少なくなってきた感覚が強くありました。また、一般住宅での畳職人の仕事は埃にまみれる作業が多く、将来畳店を継ぐことは考えていませんでした。しかし、一方で幼少期から寺社仏閣の現場は独特の雰囲気があり好きでした。

その後、建築系の大学に進学し、東京の建築士事務所に就職しました。ただ長年続いてきた歴史のある家業でもあり、店を継がないことにどこか寂しさを感じていました。
2017年に自分の建築会社を立ち上げようと思い勤めていた建築会社を辞め、起業準備のために実家に戻りました。ある程度貯金もあり、いつまでに起業しなければいけないという期限もなかったので、ゆとりある時を過ごしながら起業準備を進めていました。
そんななか、2018年に友人から「ハイエースの後ろに畳を敷いてほしい」と頼まれました。それまで畳は四角い形でしか作れないと思っていましたが、車内の形に合わせて角の曲線など自由自在に変形した畳を作ったとき、畳にはもっといろいろな可能性があると気づきました。もともとデザインが好きだったこともあり、これをアレンジすればもっと面白い展開ができると思いました。

それまで勤めていた建築士事務所での仕事の関係で、ミラノサローネなどヨーロッパ各地でインテリア関連の展示会を視察しましたが、畳を使ったプロダクトは見たことがありませんでした。そこで変形した畳を海外展開できれば面白いと感じました。
畳は日本発祥で、1300年の歴史がありますが、まだ海外の一般家庭に普及するほど広まっていません。改めてとても面白いプロダクトだと思いました。ビジネスというよりも、楽しみながら新しいことに挑戦しようと思ったのが、今に至るきっかけです。

昔から海外に憧れがあり、最終的には海外展開を目指していますが、今は畳の可能性を広げるため、制作での表現力を拡張し、国内での認知活動に注力したいと思っています。
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